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丑年に馬を観ました!

Ts380048 今年も各所の美術館、博物館巡りをしたいと思っています。またまた駄文にお付合いいただけると有り難いと思っています。今年は出来る限り、あまり有名ではない館の展示も、と思い、その結果・・・今年の干支は丑だというのに、何故か近所にある『馬の博物館』に行ってしまいました。

以前このblogでもご紹介しましたが、この博物館は横浜市中区根岸台というところにあります。ここは、1866年代に国内初の洋式競馬場が作られ、翌年から1942年まで競馬が行われていたところで、以前は大きな観覧席などもあるったのですが、終戦と共に米軍に接収され、競馬場跡は広い緑地公園になりました。起伏のある緑地で米兵達がゴルフを楽しんだようです。

その後、この公園は横浜市に返還され、根岸森林公園という大きな公園に整備されました。その頃植えられた数百本の櫻は見事で、春には市内有数の花見ポイントになっています。

071114_100102 071114_100601 その公園に隣接して米軍関係者の住宅地があります。その部分はまだ返還されていません。その地域はフェンスで囲まれていて、緑の芝生の中の白いアメリカンハウスが遠望されますが、そのフェンスは日本とアメリカの国境です。許可なく日本人は入れません。入り口のゲートにはMP(ミリタリー・ポリス)が警備していて、写真も撮ってはいけないといいます。柳ジョージの歌にある「フェンスの向こうのアメリカ」です。すぐ脇には往年の根岸競馬場の観覧席の一部が巨大なモニュメントとして残り、蔦がからんだ建物は、黙然と米軍施設を眺め続けています。

0117 その森林公園の一隅に、財団法人馬事文化財団が作った『根岸競馬記念公苑、馬の博物館』があります。この公苑には厩舎もあり、乗馬の練習や、子供達がポニーに乗ることができる馬場の設備もあります。

この馬の博物館の展示は、全て馬の歴史や競馬に関係したものばかりで、今回の展示も競馬関連の「日本の古式競馬の歴史」と、1888年に始まった馬券発行に因んだ「馬券発行120年の歩み」というものでした。(~2月22日)

そもそも馬に乗って早さを競う競技は紀元前8世紀頃には、ギリシャで行われていたようで、その頃は馬に引かせる戦車の競争でした。競馬の歴史が長いイギリスでは、14世紀頃に、2頭の馬で競うマッチレースが盛んに行われていたそうです。

さて日本に馬がやってきたのは4世紀頃といわれていますが、馬に乗って早さを競う競技は701年(大宝元年)の五月五日に、時の文武天皇のもとで実施された、という記述があります。その後競馬は、朝廷の恒例行事として端午の節句に武徳殿で行われるようになりますが、原則として天皇、上皇の臨席を必要としたようです。当時は「くらべこま、くらべ馬、走馬」などと呼ばれていたといいます。

しかしその後、10世紀頃になると、有名寺社や貴族などの邸宅でも行われることになります。当時の競馬は2頭づつの競争、マッチレースで、十番が行われたといいます。距離は2町(約200m)を走り、どちらが速くゴールするかを競うものですが、走っている間に、相手の騎手に対して大概の暴力は認められたようで、なかなかに激しい競馬だったようです。当時の古式競馬行事の代表格であった、京都下加茂神社の加茂競馬は現在にも、往年の面影を残しています。

会場には、加茂競馬に騎手が纏う乗馬装束なども展示されており、屏風、巻物などで古式競馬の歴史が分かります。

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さてもうひとつの展示「馬券発行120年の歴史」ですが、馬券は明治21年(1888年)に、当時の根岸競馬場を運営していた居留地外国人達のレースクラブが発行したものが、日本の競馬主催者による初めてのものでした。当時の馬券は1枚1ドル。

なぜ根岸競馬場での馬券発行がが国内初なのかというと、当時都内などにあった競馬場は、国内法の賭博罪にあたるという理由で、馬券の発行が禁じられていたからです。横浜・根岸の競馬場は、居留地外国人が競馬場の借地契約を結んでおり、いわば治外法権のような状況でした。そのため日本政府も国内法の適用を控えたため、根岸競馬場だけが馬券の発行ができた、ということです。

会場には、根岸競馬場で発行された明治、大正時代の馬券や、各国の馬券などが展示されていて、賭け方などの説明パネルもあり、競馬ファンにはなかなか面白い企画だと思いました。勿論この企画展示以外にも常設展示として、古代から現代までの馬具や、馬車、また馬の種の歴史などの資料も展示されていて、人と馬との交流の歴史を知ることもできます。

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『馬の博物館』館内で、ふと今年の干支である牛(丑)を思い出しました。『牛の博物館』はあるのか、と展示されている発行本などを見ていたら・・・・ありました!。岩手県奥州市に『牛の博物館』があるそうで、以前、馬と牛との両博物館で、共同企画展示をしたという報告書がありました。南部牛追い歌などの民謡にもあるように、岩手は牛の本場でもあります。岩手の『牛の博物館』は、今年、随分賑わっているのではないか、などと下世話なことを考えてしまいました。

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・・・・・・・そして館を出る時に、入館券を発行する自動券売機をみると、おとな100円、そして小中高生50円、とあります。「小中高生が馬券の歴史を見て、将来の競馬ファンに・・・。今や競馬はファミリーレジャーか」などと複雑な気持ちになりました。

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<きょうのおまけ>

Photo 今回は馬の話でしたので、

『青銅・馬』(バクトリア・紀元前2000年紀)

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<蕾(つぼみ)と菫(すみれ)の姉妹初春対談>

071220_094801 070606_052501  蕾(姉)「いま、アナタが一番好きなものってな~に?。」、菫(妹)「私はねェ、ママがくれるカリカリご飯と、パパがくれる缶カンご飯かなァ。」、蕾「アナタは食べることばっかりネ。私はママの湯たんぽだわネ。だってワタシたちって、夜はママのベッドで3人で寝るでしょ、私はママの湯たんぽの上で寝るから寒さ知らずで寝られるし、ママの湯たんぽが一番嬉しいわ。」、菫「アッタカくて好きなのはホットカーペットよ。でも時々パパがスイッチを切っちゃうので、そういう時は・・・。」、蕾「そうよね、アナタはワタシが湯たんぽの上でお昼寝しているところに来て、無理やりワタシを追い出して昼寝するのよネ。」、菫「あァ、それとパパのお腹の上もアッタカイなぁ。パパがテレビを見ている時に乗ってお昼寝するのって、スゴク好き。」、蕾「でもネ、この間パパがテレビを見ていて、この寒空で寝る所も無い人が沢山いるんだゾってワタシに云ってた。」、菫「大きな会社のエライ人達が、雇っていたハケンロードーシャっていう人達を、辞めさせたっていう話でしょ?。」、蕾「そうらしいの。ワタシ達が宿無しになったら三日ももたないわよねェ。」、菫「ワタシは一日だってムリ。」、蕾「パパは、日本が戦後経済成長できたのは終身雇用制度のお陰なんだ。自分の会社の従業員を大事に出来ない経営者が多くなっているせいだ。会社は社員が働かなければ成長は出来ないんだ、って、ワタシには分からないコトを言ってたわ。」、菫「パパの話はワタシ達にはちょっと難しいわよネ。この間もお腹の上で昼寝していたら突然、日本はスエーデンのように、高福祉、高負担という福祉国家にならなくちゃイケナイんだッ、て大声でワメいてたわよ。ワタシは耳元の大声でビックリしちゃったけど、知らん顔してた。」、蕾「人間同士って助け合えない生き物なのかしら。ワタシ達は人間からもっと、も~っと優しく、大事にして欲しいわよネ。」、菫「ワタシもパパに、ご飯~~ってねだるのやめようかナ。でもムリだわネ。お腹すいたら泣いちゃう。」、蕾「アナタ、今年はワタシのご飯を横取りするのヤメない?。」、菫「・・・・。皆さ~ん、今年も元気でガンバりましょ~~~う。」、蕾「ウウウウ・・・・。」

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