富岡製糸工場の女工達を想う。
群馬県在住でマスコミ勤務の友人、K氏の計らいで、このところ見たいと思っていた群馬県富岡市にある『富岡製糸場』に行くことができました。時は春、日本で2番目に古いという上信鉄道に揺られ、山の端に櫻が点在する景色を眺めながら、実にゆったりとした見学旅行になりました。
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『富岡製糸場』は言うまでもなく、日本初の器械式製糸工場で、操業開始は明治5年10月4日です。当時の明治政府は富国強兵、殖産興業のスローガンの元、ヨーロッパの技術と日本の工法を取り込んだ、世界最大規模の製糸工場を創りました。それが『富岡製糸場』です。当時の日本の生糸は品質的にヨーロッパに劣っていたため、輸出品としての品質向上を目指した政府の官営工場として創立されたものです。
工場に着いて驚いたのは、敷地の広大さ、建築物の見事さでした。敷地面積5万1596平方メートル(1万5608坪)という広さの中に、当時地元で作った赤レンガで建設された西繭倉庫、東繭倉庫、そして政府から招かれたフランス人指導者ポール・ブリューナ達が住んだブリューナ館、フランス人女性教師の女工達への教室である女工館、また品質の検査をする検査人館、繰糸場、乾燥場、そして診療所、病室など、明治の建築物がたっぷり堪能できました。
この『富岡製糸場』は、後に官営から明治の財閥・三井家へ払い下げられ、また後に横浜の生糸財閥・原富太郎(三渓)に移り、昭和14年からは地元の財閥・片倉製糸紡績会社として、昭和62年まで、約115年間創業を続けました。文字通り日本工業の近代化のシンボルでもありました。
現在、施設全部の建造物が国の指定文化財であり、何よりも世界に肩を並べたいという明治政府の国威発揚としての貴重な建築群であるこの施設を、最近、世界遺産に登録しようという動きがあります。現在、日本政府公認の世界遺産候補地・暫定リストには、『古都鎌倉の社寺とその他の構造物』『彦根城』『平泉の文化財と遺跡群』『小笠原諸島』『飛鳥=藤原:日本の古代首都群の考古遺跡群と関連遺産群』『富士山』『国立西洋美術館本館』『長崎の教会群とキリスト教遺跡群』、そして『富岡製糸工場と関連する産業遺産』と全部で9ヶ所の名前が挙がっています。
暫定リストとは各国が1~10年以内を目処に、世界遺産委員会への登録申請をめざすもの、ということで、現在この『富岡製糸場』の管理を行っている富岡市も、登録運動を展開中ということでした。
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しかし・・・と思ったのは、休日などはバスを連ね1000人もの観光客が訪れる観光地としては、全体的に何か未整備な、無味乾燥なものを感じたことです。それは人が働いていたという気配がしないことです。施設内に保存されている創設当時の貴重な写真や、女工達の写真などは一般観光客には公開されておらず、その上、当時の士族の娘達を集め、女工として規律正しい仕事振りを身につけさせたフランス人技術者達の生活ぶりなども含め、人の言動の気配がしない、働いていた人の匂いのしない建築という感じがしたのです。
多いときには1000人近い女工達が働いていた施設で、当時の彼女達の工場服も展示されていません。これだけ人の気配のない施設とは・・・と思いました。
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ところで、なぜ士族達の娘達が女工になったかというと、明治政府が一般家庭の娘達を女工として集めようとしましたが、技術指導のため招聘したフランス人に生き血を飲まれる(彼らが赤ワインを飲んでいたから)、などという密やかなデマ等により、近隣からの女工から嫌われ、女工が集まらず、苦慮した後、国家の命に従うであろう旧士族達に、教育のある娘達を女工として送り出せ、という命を下したためでした。このような国の命令に従い、十代の娘達が、新しい時代の仕事に、国と、家の名誉のためという志を持って従事したのです。
工場内に、開設当時女工として働いた、信州の士族の娘だった〔横田 英〕の写真と簡単な説明パネルが展示されていました。17歳の彼女が、国の命令を受けた父から女工募集の話を聞き、友人達と勇躍、県境を越え富岡に行き、懸命の努力で上級工女となって、後に地元信州にできた新しい製糸場で指導者を務めた、という彼女の当時の事柄を詳しく記した「富岡日記」は、当時の若い子女が初めて社会人として仕事に向かう苦労や、健気に努力する姿が克明に記されています。中でも心打たれるのは、士族の子として育った娘達の矜持の高さです。父母の教え、家族、環境、そして国といったことをまだ若い娘達がしっかりと認識し、自らの生きる規範にし、誇りとおもいやりの心を持って生きていたことが、この日記を読むとひしひしと分かります。
この日記を読み、現在の施設の在り様を見ると、明治の若い女性達が青春を賭けて仕事をしていたこの施設を、もっと人間味のある、明治人の匂いのする展示にしなくては、彼女らの流した汗や涙、努力に報いることが出来ないのではないかと思います。日本の近代化は決して政治の力や、金高でできたものではなく、人の力でできたものだと思うからです。
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広大な施設の維持管理をするのは、現在管理する富岡市としても並大抵の努力ではないことは分かります。しかし、これらの施設はかつて人の力で稼動したのだ、という観点から考えると、明治人の匂い、働いていた人の心といったものが、もっと具体的に伝わる施設展示にすべきだろうと思います。
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帰路の電車の中、K氏の配慮に感謝しつつ、人の心、といったものを改めて考えさせられた良い旅であったと思いました。
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<きょうのおまけ>
鶏の手前にあるのは、ローズヒップ
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<菫=すみれ、の独り言>
「こんにちは~、すみれで~す。ワタシはいつも、パパのお腹の上に乗っている、と思っているでしょう。実は違うのよ。一日一時間くらいなの。いつもの通り、この間もパパがテレビを見ていて、ワタシはお腹の上でウトウトしていたら、お決まりのバカヤローよ。ワタシはもう慣れたけれど、やはり一度はビクッとするわ。その時はテレビで厚生労働省とかの人達が、今後の国民年金の算定の仕方を”浮世離れ”したやり方で計算して、実際には有り得ない見込みを発表したとかいう時だったの。パパは本当に怒ってたわ。役人根性もほどほどにしろ!、腐りきった奴らだ、って。ワタシは詳しいコトは分からなかったけど、パパが怒っているのなら、ワタシも怒る。だって家族ってそういうもんじゃない?。ニャーね~」



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