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「阿修羅王か」

随分長い間、ブログを休んでしまいました。ブログとは毎日書くもの、という方がいらっしゃいますが、私はなかなかそうはいきません。しかし今回は、あまりにも長い期間休んでしまいました。理由はとやかく申し上げませんが、まあ、種々のコトがありまして、ということです。

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0130_2 さて、最近話題の『国宝 阿修羅展』に行ってきました、というより阿修羅に会いに行きました。奈良・興福寺創建1300年記念、ということで、約半世紀ぶりに東京で(東京国立博物館、~6月7日)観ることができるチャンスです。

今回は、肝心の阿修羅像も含め国宝の八部衆と十大弟子像も展示されるということで、各メディアも報道したせいか、博物館には連日、多数の参観者が訪れているということでしたが、行ってみるとその通りで、会館玄関前は凄まじい人波でした。

朝9時30分開館ということで、平日の朝10時に到着したのですが、既に数百人の人達が入館を待って並んでいて、すでに入館30分待ち、という有様でした。聞けば連日一万人を超える入場者が来館しているということで、やっと入った内部も文字通りイモを洗う、という状態でした。

私の目当ては八部衆で、他の展示物にはあまり目をくれず(というより、ケースに入っている展示物は人垣でほとんど見えない)、ひたすら八部衆像に向かって、人を掻き分けながら進みました。

八部衆のうちの七像『迦楼羅・かるら』『乾闥婆・けんだつば』『沙羯羅・さから』『緊那羅・きんなら』『五部浄・ごぶじょう』『鳩槃荼・くばんだ』『畢婆迦羅・ひばから』を眺めました。ことに 』『沙羯羅・さから』 のあどけない顔付きと、アンバランスな蛇の頭部飾りが印象に残りました。そしてなおも先を急ぎました。そう、阿修羅に会うために。

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その展示室に入った途端、広がる空間の中に、柔らかい照明に包まれた『阿修羅』が、1300年の刻を越えて、いまにも中空に舞い上がるように・・・いました。

0135 細く長い六本の腕、まるで少女を想わせる三方に向けた三つの顔、慎ましやかに立ったその立像の正面の面差しは、一途に想いつめて、しかし透徹した瞳は、我々衆住を通り越した、一種悲しみを湛えた眼差しでした。

戦さの神として存在した阿修羅は、釈迦の教えに帰依し、己れのそれまでの業を悔いて、釈迦を守る存在となりました。修羅道とは争いの絶えない世界、人の苦しみは自らに帰る、という釈迦の教えを、自らに起きた災いに対し骨肉の争いを続けた阿修羅は、どのように受け入れられたのでしょう。己れの慙愧と、釈迦の衆従としての存在となっても揺れ動く感慨は、それぞれの顔の表情に現れているようです。左側の顔は意識を内側に向けた憂いと厳粛さのもの、右側の顔は下唇を噛み、心の動揺に耐えようとしているように見えます。

頭部の髷から腕の動き、足元のサンダル様の履き物まで、くまなく視線を走らせているうちに、阿修羅がふっと、地から足を離し、中天に舞い上がるのではないか、という想いに捕らわれました。

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奈良時代738年(天平8年)に、光明皇后が母の供養のために興福寺に西金堂を建て、本尊を取り囲んだのが阿修羅を含む八部衆、そして十大弟子像でした。時を経て現代、これらの像を目の当たりにするということ、ことに阿修羅像の眼差しに邂逅することに、深い奇縁を感じました。

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館内の混雑、付近の雑踏から離れても、あの憂いを帯びた、そしてなお何かを見つめ続けている、阿修羅の眼差しが、脳裏から離れませんでした。そして何となく、学生の頃に読んだSFのくだりを思い出しました。

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「悉達多太子か」

はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。

「阿修羅王か」

少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。

(光瀬龍・著『百億の昼と千億の夜』より抜粋)

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阿修羅の世界から現代に戻り、残念だった下世話な話を・・・・。

第一点は、八部衆(実際は七人の立像)で、像の背面に照明があたっておらず、詳細を見ることができませんでした。現代の博物館の中で、図抜けた照明の力量を持つ東京国立博物館のスタッフにしては寂しいことでした。阿修羅像の照明は360度から十数本のスポットライトを当て、美しく見せていたのにと、その差にがっかりです。1本のスポット照明でも良いのに とおもいました。

第二点は 、図録のことです。布目の表紙で豪華ではあるのですが、出展物の詳細の説明が成されていないことは残念なことでした。興福寺の縁起や、種々の由来はそこそこ記されているのですが、もう少し展示物の説明ページがあっていいと思いました。しかし、これらのことはさしたることではなく、最も残念なことは、写真の拙さです。

よく、子供の写真は、どんなに上手な写真家よりも親が撮ったものが良い出来だ、といいますが、今回の図録のほとんどの写真にもそういったことが云えるような気がします。感じたのは、被写体に対しての写真家の愛情不足、思い入れの無さ、といったところでしょうか。

衣服のところどころは箔落し、指の先なども欠落しているような立像、しかし1300年の時を超え、なお瑞々しく現代に存在している立像達の一瞬を捉えた写真は無かった、と感じました。

阿修羅、仏像ファンとしてはことのほか残念、というしかありません。

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 <きょうのおまけ>   

Ts380091 花:櫻

花器:李朝瓶(染付けは蝙蝠)

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<菫(すみれ)の独り言>

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「ワタシ、最近何故かイライラしちゃうの。少しお腹が空いても、少し寒くても、ナンだかイライラして・・・、お姉ちゃんにのしかかって背中を噛んでしまうの。パパもママも、どうしてそんなに獰猛になっちゃったのって言うンだけど、ワタシも分からないの。でもこれはきっとパパの短気が伝染したせいだと思うの。この間もパパのお腹の上で昼寝していたら、パパが又、テレビにバカヤローって叫んだのよ。思わずビクッとしたけど知らん顔してたらパパは、サ・シ・ス・セ・ソをきちんと無声音で発音できない奴は、アナウンサーになんかなるな、って怒鳴ってた。ワタシは普段ニャアニャアしか言わないから助かったわ。でもこの間、朝パパのベッドに、ご飯ちょうだいって言いに行った時、思わずゴワン、って言っちゃった。パパもママも聞いていてビックリしてた。ところで最近は急に暑くなったり寒かったりで、体調を崩す人が多いんだって。皆さんもご注意を~~~~!」

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