時代の波頭を乗り越えて・・・日本郵船歴史博物館
国内企業が開設する博物館、美術館は沢山ありますが、今回訪れたのは日本を代表する海運会社、日本郵船の歴史博物館です。場所は横浜市中区海岸通り。日本郵船横浜支社の1階にあります。
この建物、横浜郵船ビルは1936年に、日本郵船横浜支社として新築されたものですが、建物がなかなか素晴らしく、正面にはコリント式の柱が16本立ち並
んでいます。屋内は6メートルの高さの天井で、天井にはロゼット型(円形)の花型飾りがあり、アール・デコの特徴が取り入れられた豪華な博物館です。2003年に、それまでのオフィスの一階部分を改装して博物館にした、ということです。
日本郵船の社歴は、一言では云えません。何しろ起業したのは1870年、当時の土佐藩開成館大坂出張所を九十九商会と改称し、東京、大阪、高知への航路を開設したのが開業ということで、1873年、日本国郵便蒸気船会社という名称になります。日本の海運の歴史は、大部分が日本郵船の歴史と重なるという、日本を代表する海運会社です。
広々とした展示フロアには、ゾーン毎に日本郵船の歴史を辿る展示が成されています。中でも中央にある、昭和35年に客船事業を終了するまで日本を代表する豪華客船とされた、浅間丸(16945t)と、鎌倉丸(17496t)の、48分の1の模型展示は、客船好きにはたまらないものです。鎌倉丸はサンフランシスコ航路の豪華客船で、内装はアー
ル・デコ様式だったといいます。
それまで世界の港に向けて運行していた外国航路は、戦時となった1941年(昭和16年)で休止となりました。
会場の一隅に、夥しい船の写真が展示されていました。太平洋戦争で、軍から徴用され、敵国から沈められた郵船所有の船の写真です。それによると、徴用され日本郵船が失った船は、総計185隻。総トン数113万トン。失った人員5312名、とあります。
当時、郵船が誇る豪華客船だった春日丸は改装され、航空母艦「大鷹」へ。客船新田丸は同じく空母「沖鷹」へ。なかでも悲惨なのは客船として建造された橿原丸は、一度の航海もすることなく、空母「隼鷹」に改装され、海に消えています。そしてこれらの船と共に、郵船の社員達も海に消えたのです。
それまで国内の産品を各国に輸送したり、また輸入品を積んで航海し、輸出入産業の重要な足として活躍し、沢山の人々を遠洋航路で運んだ華々しい実績を持つ船々は、戦争のために海の藻屑となりました。戦争は経済の戦い、などと言いますが、これだけの船の建造費はいかばかりか、失った人命をと思うと、戦争の狂気は計り知れません。
この博物館は豪華である上に、単なる企業PR博物館ではなしに、一時期は国策企業でもあった日本郵船の歴史を辿ると共に、日本の海運の歩みと重ね合わせながら見ることのできる、貴重な企業博物館といえます。
しかし、改めて展示を眺めて思うのは、各ゾーンの展示内容がそれぞれ独立しているため、全体としてまとまった展示にはなっていないという感じを受けました、これだけの内容・背景を持つ展示を、1フロアだけで見せるのは難しいとは思いますが、入館者が、フロアを1周しながら見学できるような展示を心がけてもらえれば、もう少し見やすく、気持ちの整理も出来るはずなのですが。
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<きょうのおまけ>
花器=バカラ・ゴブレット(バカラ初期)
花台=明治初頭、外国商館に使われたレンガ。
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今年もバラの季節となりました。
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