うつし世は夢・・・江戸川乱歩展

近くにある神奈川県立神奈川近代文学館は、明治から現代に至る日本の文学者の業績や、地元神奈川ゆかりの作家の軌跡や作品などを展示する館ですが、今回、久しぶりに訪れようと思ったのは『大 乱歩展』(~11月15日)という企画展で、日本の探偵・推理小説界を確立した、江戸川乱歩の生涯と業績を紹介するものだったからです。
子供の頃に「怪人二十面相」「少年探偵団」「名探偵明智小五郎シリーズ」などを読みふけった私としては、懐かしさと共に、あの頃の雑誌や単行本の表紙を見たいものだと思い、出かけました。

今回は、乱歩のご遺族が立教大学に保存委託した数万点ともいわれる、書籍や文書などの資料のうち、その業績を物語る約200点ほどが展示されていて、ファンにとっては壮観ともいえるものでした。
書籍、手紙、草稿などはもとより、映画化された作品のポスター、プレスリリース、挿画の原画、また乱歩愛用のカメラなども展示され、子供の頃の想い出が一気に押し寄せてくるような感じがしました。
0166_2 「妖怪博士」「大金塊」「青銅の魔人」「虎の牙」「透明人間」「宇宙怪人」「魔法博士」「黄金豹」等々の当時発刊された本類、そしてそれらの挿画を書いていた小林秀恒、林唯一、石原豪人、そして山川惣冶などの挿画に見とれて思わず展示ガラスに額をぶつけるほどでした。

なんとも懐かしい挿画を観ていて、小学生当時、月末に親からもらった数十円を握りしめて、近所の本屋に走り、月刊誌「少年」や「少年画報」「少年クラブ」などを買い求め、夢中で読んでいた頃の記憶が鮮やかに蘇りました。
挿画家としての山川惣冶は、乱歩の作品ばかりでなく、作家も兼ねていて「少年王者」や後の「少年ケニア」などの作・画家としても有名でした。同時期の作画家、小松崎茂と共に、当時の雑誌好き子供の憧れの存在でした。

0164 江戸川乱歩の功績は簡単には書き尽くせるものではありません。日本の探偵小説・推理小説の巨人ともいえる作家です。
推理小説作家の登竜門である、乱歩賞の創設や、推理作家協会の設立、また経営不振だった月刊誌「宝石」の建て直しなども行い、数多くの作品と共に日本の推理・怪奇小説の牽引車的な存在でした。

江戸川乱歩の膨大なエネルギーへの驚嘆と、子供の頃の記憶がないまぜになった頭で館を後にすると、目の前には秋の光に溢れたミナトの遠望があり、乱歩がよく色紙などに書いたという「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」という文が、頭をよぎりました。

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<きょうのおまけ>

091004_142101_2 植物=ミントの葉、イタリアンパセリの花、紫蘇の花

花器=李朝・陽刻角瓶

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<ムスメの独り言>

Ts380122 「こんにちは、わたしライです。いつもは妹のスミレが登場していますが、父たまに、たまにはアンタもと言われて。ハイ。
わたしは妹みたいにいつも父たまのお腹の上にいるわけではありません。普段は母たまのベッドの上か、19世紀・イギリスのチャーチチェアの上にクッションを敷いてもらって座っているか、眠っているかです。
先日、父たまの椅子の脇で座っていたら、父たまがいつものようにテレビを見ていてブツブツ独り言を言うのです。
最近のテレビニュースの原稿はどうなってんだ?状況説明もいい加減だし、何よりも読む文章になっていない、と言うんです。父たまによれば、アナウンス原稿は記者が書いて、デスクが手を入れ、アナウンサーに下読みさせて、読み時間と言い回しの最後のチェックをするんだそうです。
それが出来ていないんだヨ、と父たまはわたしに言うので、わたしは自分に話しかけられたと思って、キャア、キャアって返事したら、父たまは、ヨシ、ヨシって頭をなでてくれました。まぁメデタシかな?。ではまた~。」



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口琴とハーモニカ

子供の頃から楽器が好きで、小学3年生の時に初めてハーモニカを買ってもらった時は夢中になりました。1950年代の初めの頃で、24穴のトンボハーモニカでした。国内でハーモニカが流行し始めた頃です。
吹き方は、ハーモニカの箱に入っていた、音階などを記した紙を見て覚えました。勿論当時は先生などいるはずもなく、独学でした。
学校の行き帰りや、家に戻っても吹き続けていました。そのせいで初めてのハーモニカは一年も経たないうちに、マウスピース部分がボロボロになり、リードも壊れ、音がでなくなりました。
あれから何本のハーモニカを買ったことかと思います。
現在でもブルース・ハープ(10ホールズ)を7~8本と、上下2連の古いクロマティックハーモニカを持っています。
ブルース・ハープを初めて買った頃、なかなかベンドがかけられず苦労したことを思い出します。

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以前このblogでも紹介した横浜市本町にある横浜ユーラシア文化館で『口琴のひろがり~ユーラシアの楽器 口琴の魅力に迫る~』(~10年1月11日)という珍しい展覧会を行なっているということで、楽器好きとしては駆けつけました。

口琴(こうきん)はご存知の方も多いと思いますが、金属や竹でできた弁を、演奏者が口に咥えたり、唇にあてたりし、弁についた糸を震わせ、出た音を口内で共鳴、増幅させて倍音を出す楽器で、ビヨーンという音が特徴的です。
非常に原始的?な楽器ではありますが、優れた口琴を制作するには相当な技術が必要といわれています。また奏法も同様です。

口琴は世界中に広く分布していて呼び名も様々のようです。
国内ではアイヌの「ムックリ」が知られていますが、会場に展示されていた口琴の名称はそれぞれで、アメリカのスヌーピーハープ、インドネシアのゲンゴン、フィリピン、ミンダナオのクンビン、ロシア・サハ共和国のホムズ、モンゴルのヘルホール、ロシア・アルタイのコムス、イギリスのジューズハープ、中国・雲南省のググ、ネパールのアンゴム、オーストリアとドイツのマウルトロンメル、イタリアのマランツァーヌ、ノルウエーのムンハルペ、アルゼンチンのカドヘイデ・・・、と書ききれない程、約90種類以上の口琴が展示されていました。
それぞれ独特の形をしており、金属製や木、竹などの素材で作られています。

国内では日本口琴協会という団体もあり、様々な活動が行なわれているようで、今回の展示でもこの館などで、10月11日にワークショップやレクチャーコンサート、また12日には、オーストリアの世界的な口琴奏者や、ロシア・トゥパ共和国からの演奏グループなどが来日し、日本初演の演奏を行なうということです。

091006_210401_2 館のロビーで、竹製や金属の口琴を売っていました。早速アイヌの「ムックリ」を買って帰り、家で試しましたが、難し~い。相当の練習が必要のようです。
youtubeで、口琴の演奏をしている映像を見ながら試してみたのですが、なかなかあの音がでません。まして口内で響かせて倍音を、などという技術はまだまだ先のようです。
因みに漢字の「口琴」は、中国と台湾ではハーモニカを意味し、この場合の口琴は「口弦」「嘴角」と書くそうですが、私はハーモニカはなんとかなりますが、口琴の道は遠いようです。

世界各地に分布する口琴の歴史を辿りつつ、ユーラシア文化の広さを感じる展覧会でした。(画像は購入した「ムックリ」)

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<きょうのおまけ>

091004_132701_2 花=バラ(アイスバーグ)

花器=李朝・染付け

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<娘猫の独り言>

Ts380126 「すみれで~す。先日台風がきたでしょ?。あの日父たまは、電車も動かないしって、家でテレビの台風情報を見てました。わたしも父たまのお腹の上でにいたンですが、父たまが言うには、天気予報って現代の数少ない未来予知のひとつなんですって。
父たまは子供の頃、ジェーンだのカスリーンだの、女性の名前がついた大きな台風が来た時のことや、伊勢湾台風での大きな災害を知っているらしく、昔は台風が来るたびに大被害が出たが、最近は天気予報のせいか、大きな台風が来ても比較的、被害が少ないなァ、って言ってました。でも亡くなった人もいるんだから、あまりそんなことは言えないが、って。でも父たまはこういった被害が少なくなったのは、天気予報、台風予報が発達したからだって。
テレビでは台風が来ると、まるでお祭りのように騒ぐけれど、これも災害防止のためには必要かなァって、つぶやいていました。わたしも風が強いとコワイけれど、そんな時には父たまのお腹の上で、寝たふりをすることにしています。」

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居心地の悪い美術展

もう神無月です。

今年の秋は早い、と云う人がいますが、横浜は十月当初でも28℃、という残暑。
幸い空気が乾燥してきているので、真夏のように湿度で悩まされるということはありませんが、まだ充分に夏日があったりします。

ナンとも頭の整理がつかない展覧会を観ました。
『大・開港展~徳川将軍家と幕末明治の美術~』(横浜美術館、~11月23日)です。横浜開港150周年の今年、横浜美術館も開館20周年を迎え・・・という記念の展覧会であるのですが、全体にまとまりのつかない、非常に消化に悪い,居心地の悪い
展覧会でした。

内容は、第一章・徳川時代(まずこれが分からない分類で・・)、第二章・開港の時代、第三章・明治時代、と大分類されているのですが、趣旨としてパンフレットに「横浜開港の前後、国家の体制の大きな変革をはさんで、わが国の美術が、江戸時代から何を受け継ぎ、明治になって新たに何を生み出していったのかを見つめます」とあります。また幕末明治の至宝をご堪能下さい、とも。

0090_2 このコンセプトには随分ムリなところがあって、徳川時代の美術とは、どのようなものかと思えば、第一章では、徳川記念財団所有の江戸時代後期の巻物、肖像画、徳川家斉などの将軍達が献上され、保管していた細工もの、天璋院・篤姫や、静寛院宮・和宮などの身の回りの品が展示されていて、たしかに雛道具などは見事な細工ですが、これは職人の仕事ですし・・・。
0091 第二章・開港時代は、開港時の港風景木版画、写真、当時の書類、彩色etc・・・。
第三章・明治時代、輸出用工芸品は銀器、地元の芝山漆器、横浜の陶芸作家・宮川香山の陶器、ノリタケなどの器類、また次のコーナーの西洋画の内容は、五姓田義松や高橋由一(彼の作品は素晴らしい。重要文化財の美人画・花魁もありました)などの絵画、この区分の最後のコーナーの、帝室技芸員と博覧会、は狩野芳崖、高村光雲などの作品が中心。

ナンだか色々書くのがシンドくなってきました。時代を軸にとりとめもなく諸品を並べただけ・・・という印象で、企画側?の意図がまるで伝わってこないのです。一番はっきりしていることは「横浜開港150周年を記念しての展覧会」であるということですが、これもストレートに伝わってこない・・・。

今年は横浜市も開港150年記念年で、Y150などと銘打って、みなとみらい地区や山下公園などで、有料、無料の開港150周年に関する?様々なイベントを行なっていましたが、私達市民にとっては関心がイマイチだったという催しでもありました。
まして80億円を越える市民税がこの催しに使われたうえに、入場者目標の40%以下の入場者という不評な数字に、その催しの根本的な計画性に対し、一般市民の不満が募っているようです。
そんな中で、市長は8月に任期途中(会期途中でもありました)で辞任、また彼の誘致で着任した副市長の連続辞任などで、いま横浜市議会は揺れているようです。開港博の総責任者は前市長だったということもあり、博覧会終了前に辞任した前市長に、これほどの不入りだった博覧会の設定状況を聞こうと、説明のための議会出席を求めたところ、当人は、時間が無い、私はもう市民の立場、などの理由で、出席を拒んでいるようです。この問題は様々な見解があるようですので、詳細は省きますが。

0163_2 そんなこんなの騒動ですが、横浜市関連の多数の美術館、博物館も、開国博に因んだ様々な企画展を行いました。今回の『大・開国展』も然りです。
横浜には各所に開港時の資料が沢山保存されています。そういった資料と、徳川時代末期の文物とを一挙に展示したのが、今回の展覧会だと思えます。
徳川将軍家の宝物、というのなら、それだけで充分に観るに値いするものですし、歴史的価値もあるというものですが、このようなこじつけ展示はいけません。全てチグハグになりました。徳川期と幕末、明治の美術作品の違いを展示する、というものであれば、もっと展示作品と方法を工夫しなければならず、このような展示ではその差異を感じられるものではありません。
また、美術館というのなら、当時の文物の美術性、また工芸の伝統性などを中心に展示すべきだったのではないか、とも思います。
美術館で博物展?という観客にとっての居心地の悪さは、この企画の曖昧な点にあったのではないかと思います。

居心地の悪さ・・・が募り、美術館から少し離れた蕎麦屋に、お銚子とキリッとした蕎麦を頂くために急行しました。せめてもの気分直しのために、です。

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<きょうのおまけ>

Cimg2734_2 『火箸(鎌倉時代)』

(長さ=23.5cm)

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<ムスメの独り言>

080516_085703_2 「秋になったンですってネェ。秋の日のひたぶるに、うら悲し・・・っていうのですが、私一気に食欲全開で、食欲の秋になっちゃいました。一日4食。父たまが、オマエよく食べるな~って。少~し体重も増えたかな?。お姉ちゃま共々元気で~す。」

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夏眠の夢・其の弐

前回に続き、夏眠の夢の第二回目です。

今回の最初は『ベルナール・ビュフェ没後10周年記念 ビュフェとアナベル~愛と美の軌跡~』展(横浜・そごう美術館、既終了)です。
ビュフェ(1928~1999)は、静岡にビュフェ美術館もあり、国内に彼の作品が何枚あるか分からないほど、昔から人気のある作家です。
1999年、自ら命を絶つという衝撃的な死から10年、という区切りでのこの展覧会は、妻であるアナベルを描いた作品を中心に、デビュー当時の作品なども含めた作品展でした。
0146_2 会場に展示された写真で見るアナベルは、さすがに元・モデルだけあって美しく、そして知的で、「生きる姿勢が見える女性」という感じの女性でした。

彼らが結婚した頃の1950~60年代のフランスは、哲学者、J・P・サルトル達が提唱した実存主義が、若い人達を中心に影響を与えた時代でした。またサルトルの伴侶である作家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの新しい男女関係などが話題となり、自らの考えを持ち、共生するがお互いに隷属や依存をしない、という男女の在り方が、さかんに論議された頃でもありました。
そんな時代背景を考えながら、ビュフェとアナベルの写真を観ていてふと、学生の頃に常に持ち歩き、電車の中や公園で読みふけり、今は本棚の中で埃をかぶっている、人文書院刊の「サルトル全集」を再読しようか、などと思いました。

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次は、鎌倉大谷記念美術館で現在も開催されている『デュフィ展、~海 音楽 競馬~』(~9月26日)です。
館を訪れた日は、ことのほか暑い日で、鎌倉駅から15分程度の歩きでも、大汗をかきました。暑い日が続いていたので、デュフィの明るい色の作品でも眺めて、暑気払いをしようと思ったのです。

0151_2 ラウル・デュフィ(1877~1953)は、色の魔術師と称された、フランス近代絵画の巨匠の一人です。20世紀初頭の絵画運動フォーヴィズム、キュビスムを経て、明るい色彩感覚と躍動感溢れた独自のデュフィの世界を築きました。
港町ル・アーブルで育ち、音楽一家に育ち、後年チェリストのパブロ・カザルスとの出会い、そして躍動する馬の美に魅せられたこと、などが彼の作風に影響を与えました。

展示会場の大谷記念美術館は、故大谷米一氏(ホテルニューオータニ前会長)の鎌倉別邸を一部改装し、美術館にしたもので、大谷氏が蒐集した、デュフィなどの巨匠の作品展示で知られています。この館は元個人宅というだけに、庭からの自然光で作品を鑑賞することのできる稀有な美術館です。
美術館で、最低限の照明はあるものの、自然光(反射も含め)で作品を観ることができるのは、何とも心癒されることです。

そして期待通り、デュフィの色鮮やかな世界が、暑さを忘れさせてくれました。

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<きょうのおまけ>

090920_075502_2 植物=ミント、つゆ草、イタリアンパセリ、イネ科の仲間。

花器=インクボトル(19世紀、イギリス)

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<きょうの独り言>

090920_070701_2 「ワタシです。すみれで~す。また父たまの話ですけど、最近少し涼しくなってきて、ホンの少~し元気を取り戻してきたらしいのです。そんな父たまを見て、ワタシも嬉しくってよ。
母たまはワタシやお姉さまの全ての面倒をみてくれる人なので、ナンの不満もないのだけれど、父たまは気分屋さんで、ワタシやお姉さまが少しでもご飯を残すと、スゴク怒って、野良の猫達をみろっ、どんなご飯でも食べるゾっ、って怒るの。そんな時ワタシはベッドの下に逃げるんだけど。
そんな父たまがこの間、いつものようにテレビを見ていて言うの、民社党も(また政治の話なんだけど)、はっきり言わないのがイケナい。日本は今後”高福祉、高負担の国に向かって舵をきります”ってハッキリ言えよ、って。そりゃ選挙を前にしてそんなことは言えないのは、ワタシでも分かるけど、父たまの言う、高福祉、高負担って消費税なんかを上げるってことで、その前提として、全ての国民を、ゆりかごから墓場まで保障します、ってことを言わなくてはならないらしいの。
老後のために貯金なんかしなくて良いです。全て国が、国民から預かった税金でしっかり保障します、ってことが言える国になるためには、まだ相当に時間はかかるみたいだけど。
父たまが言うには、贅沢品には50%以上の消費税をかけて、生活必需品は低い消費税にする方式を取り入れるスェーデン方式の日本版にするべきなんですって。贅沢品を買う人は、高価い税金をを払えるっていう満足度を得られるから、ですって。
ワタシ達は良いのよネ、父たま、母たまが私たちの生涯を保証してくれているから・・・・ウン。」

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夏眠の夢、其の一

前回書きましたように、ここしばらく『夏眠』していました。
その『夏眠』の間も、あちこちの展覧会を観に行きました。勿論、炎熱の中、這うようにして・・・です。無我夢中というか、ほとんどが夢の中のような有様でした。今回は、そんな展覧会のうちのいくつかを。期間が終わってしまったのももありますが、ご容赦を・・・。

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『伊勢神宮と神々の美術』展(東京国立博物館、既終了)。
0160 およそ2000年前に鎮座されたと伝えられる伊勢神宮。飛鳥時代から20年に一度、生殿はじめ、御装束、神宝を造り替えて、御神体を新宮に遷す遷宮が行われており、神宝のうちいくつかは、その都度、新しいものに造り替えされる、という伝統があります。それらの神宝の展覧会でした。
会場には古事記、日本書紀の写本もありましたが、それはそれとして、神宝を造る側としての、伝統工芸を継承する技術者が年々減少しているという現実を、伊勢神宮はどのような見方をしているのだろう、と思いました。事実、この画像にある神刀は現在では復元できない技術が用いられている聞きます。伝統技術の次世代継承者がいないからです。
古えからの工芸技術をどのように保全、継承するべきか。文部科学省の考え方が問われることです。

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東京国立博物館の同じ階で、伊勢神宮と神々の美術展と同時開催されていたのが、『染付』展でした。(既終了)
0162 染付け、とはご存知のように、白磁の素地にコバルトを含んだ顔料(呉須等)を用いて文様などを描く技法です。透明釉を掛けて焼成すると、文様が鮮やかな藍色に発色します。中国では青花、日本では藍染の連想から染付け、と呼ばれました。
会場には中国・元、明、朝鮮、ベトナムなどの染付け器と共に、日本の染付けの器が多数展示されていました。
日本の染付けの鍋島、京焼きなどと並んで、「伊万里焼」として沢山の染付け器が並んでいましたが、これは某骨董商氏の拓言?からか、佐賀の伊万里港から積み出された佐賀周辺の有田焼、三川内焼、波佐見焼などを総称して伊万里焼と呼んでいるもので、伊万里焼という窯元はありません。もっと窯元名を大事にした扱いはできないものかと思います。

次回も「夏眠の夢、其の弐」を・・・・。

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<きょうのおまけ&独り言>

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花=ばら(マチルダ)、ヨウシュヤマゴボウ。

花器=沖縄ガラス・水差し。

「そして、ワタシです。すみれで~す。
ふとした出来心でテーブルにあがってしまい、母たまから「お行儀が悪い!」って叱られていたところを、父たまに撮られてしまいました。
最近の父たまは、比較的ご機嫌です。新政府がマニフェスト通りの政策を次々と打ち出すせいかナ?って思うのですが。
でも相変わらずテレビに向かって文句を言うことは多いのですが、(テレビに文句を言うのは××の始まりって言うけど・・・)以前ほどヒドくはありません。
ただ、ニュースなどを見ていて、最近のアナ原はひどいナァって言ってます。アナ原ってアナウンス原稿のことですって。父たまは30数年間テレビ局の社員で、ディレクターやプロデューサーをしていたので、業界用語が多いのです。
父たまに言わせれば、用語の使い方の間違いや、状況説明の文章は稚拙としか言いようがない、って。そして文章表現能力と、ウラ取り(事実関係の取材)、が出来ていないんですって。デスクは何やってンだろうって怒ることもあります。
ニュースや、紀行ものが特にヒドいって。テレビ番組制作者の皆さ~ん、沢山本を読んだりして、もっと勉強してくださいネ~~~。」

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夏眠明け・100回目、ミヒャエル・ゾーヴァのウイットを観た。

以前にも書きましたが『夏眠』という言葉があるのかどうか・・・。冬眠の逆の意味です。

およそ2ヶ月半の間、『夏眠』していました。私は25℃以上の気温と高湿度が苦手で、毎年、夏の時期は身体が動かない、物事をよく考えることが出来ない、という状態になります。夏休み、ではありません。休みを取って遊びに・・・などという建設的?なことではなく、身体機能が暑さと湿度で著しく低下し動けない、という状態です。最近、テレビの気象予報間は「このところすっかり秋めいて・・・」などと云いますが、日中の最高気温は、まだ28℃などという、私にとっては暑熱の気温です。そんな状態でその間はblog更新もままならない、という言い訳をしつつ・・・。

そんな最中、群馬の友人から情け容赦のないメールが届きました。「このところblogの更新もしてないようだけど、生きてるンだろうネ」。私にとって、恐れていたメールでした。「夏眠、といった状態でパソコンに向かう気力もなく・・・」などと弁明しても、「やる気があるの?」という返事が返ってくるに違いない、などとオドオド考えました。

そういった励まし?の連絡もあり・・・そして今回はこのblogを書き始めて100回目という記念すべき?回でもあるなどと自分に言い聞かせました。通常、blogを書いている人達は、日記のように毎日更新していて、そのスピードでいけば、100回なんて3ヶ月程度で到達する回数ですが、私は2年10ヶ月もかかっています。このノロノロさ加減はカタツムリにも及ばないスピードです。たいしたことのない100回目です。軽くやり過ごそう・・・と。

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久しぶりにウイットに溢れ、精緻な筆致の面白い展覧会を観ました。

『ミヒャエル・ゾーヴァ展』(横浜そごう美術館、~9月27日)です。

0157 作家年譜によるとミヒャエル・ゾーヴァは1945年、ドイツ・ベルリン生まれの64歳。その独特の世界観と卓越した描写力で、世界的に人気があり、芸術大学卒業後、風刺画家、イラストレーターとして活躍し、1993年に出版された『ちいさなちいさな王様』の挿絵で一躍世界的に有名になった、という作家です。最近ではオペラ『魔笛』の舞台美術、衣装なども担当したり、映画『アメリ』では絵と小道具、また2005年に公開された映画『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ』の背景を担当するなど、多彩な才能の持ち主です。

会場にはおよそ130点の作品が展示されていますが、作品のおよそ6割は、はがき大からB5版程度の大きさの作品で、その中に細密画のような筆致で描かれているため、よく目をこらしたり、作品すれすれまで顔を近づけて細部を鑑賞する、という集中力が必要でした。また、そういった展示作品にしては、会場の照明が通り一遍のスポットで、作品に近づけば自分の影で作品がよく見えない、という状況だったのは残念なことでした。

0159 しかし作品はどれもドイツ人らしい洗練されたエスプリ、ウイット、シニカルさが横溢していて、飽きることの無いものばかりで、私などは作品の前で思わず噴出してしまい、隣に居る人から睨まれてしまうほどでした。ゾーヴァのウイットは、会場の入り口にある挨拶のパネルにある「私の展覧会に来てくださったことに大変感謝します。家でのんびりなさっていても良かったのに・・・」という文でも分かります。

会場には作品の他に、彼の傍で愛猫の「ハイジ」がアクビをしているアトリエの写真も展示されていました。彼0161_3 の作品の中には様々な動物が寓意的に描かれていて、彼の動物に対する深い愛情も感じます。そんな中で一番シニカルに描かれているのが人間で、人間の愚かしさや、社会的体面を保つための傲慢さなどが、よく描かれています。

全て緻密な筆致で描かれている作品ばかりですが、一番の驚きは、作品の対象物よりも、その背景の色の深さ、美しさでした。

自然や動物に対する深い憧憬、それに対して人間の持つ不条理といったものを感じさせる面白い作品ばかりですが、作家の持つ鋭い視点による緊張感と、暖かい人間性が描かれていて、感性の両面が感じられる作品群でした。

『夏眠』期間中も相当数の展覧会を観ましたが、中でもこの展覧会は秀逸だったと思います。

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<きょうのおまけ>

Ts380149 植物「イタリアン・パセリ」

花器「莢(さや=陶器を焼く際に作品をこの莢に入れ、焼成する器)」

花台「砥石」

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<今日の独り言~~~>

090904_091301_2 「ワタシ(すみれ)の昼寝スタイルです。残暑が続くので暑いのです。また父たまのお話なんですが、テレビでニュースや報道番組を見ていて、テレビは何故こんなに頭が自民党なんだろう、って言うの。聞いてたら、国民の大多数が、これまでの政治に失望して、改革を訴える民主党に、やって見せろ、と投票したんだから、その経過を黙ってみていてチェックすれば良いのに、まだ政権についていない人達に、出来るの?、ここがマズくなるんじゃないの?って、テレビがやることじゃないだろう?って。マスコミは皆、自民党の価値観しかないのか、って怒ってるます。新しい政権が政策を実行しようとしている時に、古い考え方を一新できないのはマスコミだ、って言ってます。マスコミさん、どうぞ新しい考え方で報道してください。そうでないと父たまの血圧が上がりそうです。」

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富岡製糸工場の女工達を想う。

群馬県在住でマスコミ勤務の友人、K氏の計らいで、このところ見たいと思っていた群馬県富岡市にある『富岡製糸場』に行くことができました。時は春、日本で2番目に古いという上信鉄道に揺られ、山の端に櫻が点在する景色を眺めながら、実にゆったりとした見学旅行になりました。

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『富岡製糸場』は言うまでもなく、日本初の器械式製糸工場で、操業開始は明治5年10月4日です。当時の明治政府は富国強兵、殖産興業のスローガンの元、ヨーロッパの技術と日本の工法を取り込んだ、世界最大規模の製糸工場を創りました。それが『富岡製糸場』です。当時の日本の生糸は品質的にヨーロッパに劣っていたため、輸出品としての品質向上を目指した政府の官営工場として創立されたものです。

0142_2 工場に着いて驚いたのは、敷地の広大さ、建築物の見事さでした。敷地面積5万1596平方メートル(1万5608坪)という広さの中に、当時地元で作った赤レンガで建設された西繭倉庫、東繭倉庫、そして政府から招かれたフランス人指導者ポール・ブリューナ達が住んだブリューナ館、フランス人女性教師の女工達への教室である女工館、また品質の検査をする検査人館、繰糸場、乾燥場、そして診療所、病室など、明治の建築物がたっぷり堪能できました。

0141_2 この『富岡製糸場』は、後に官営から明治の財閥・三井家へ払い下げられ、また後に横浜の生糸財閥・原富太郎(三渓)に移り、昭和14年からは地元の財閥・片倉製糸紡績会社として、昭和62年まで、約115年間創業を続けました。文字通り日本工業の近代化のシンボルでもありました。

0136 現在、施設全部の建造物が国の指定文化財であり、何よりも世界に肩を並べたいという明治政府の国威発揚としての貴重な建築群であるこの施設を、最近、世界遺産に登録しようという動きがあります。現在、日本政府公認の世界遺産候補地・暫定リストには、『古都鎌倉の社寺とその他の構造物』『彦根城』『平泉の文化財と遺跡群』『小笠原諸島』『飛鳥=藤原:日本の古代首都群の考古遺跡群と関連遺産群』『富士山』『国立西洋美術館本館』『長崎の教会群とキリスト教遺跡群』、そして『富岡製糸工場と関連する産業遺産』と全部で9ヶ所の名前が挙がっています。

0140_2 暫定リストとは各国が1~10年以内を目処に、世界遺産委員会への登録申請をめざすもの、ということで、現在この『富岡製糸場』の管理を行っている富岡市も、登録運動を展開中ということでした。

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しかし・・・と思ったのは、休日などはバスを連ね1000人もの観光客が訪れる観光地としては、全体的に何か未整備な、無味乾燥なものを感じたことです。それは人が働いていたという気配がしないことです。施設内に保存されている創設当時の貴重な写真や、女工達の写真などは一般観光客には公開されておらず、その上、当時の士族の娘達を集め、女工として規律正しい仕事振りを身につけさせたフランス人技術者達の生活ぶりなども含め、人の言動の気配がしない、働いていた人の匂いのしない建築という感じがしたのです。

多いときには1000人近い女工達が働いていた施設で、当時の彼女達の工場服も展示されていません。これだけ人の気配のない施設とは・・・と思いました。

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ところで、なぜ士族達の娘達が女工になったかというと、明治政府が一般家庭の娘達を女工として集めようとしましたが、技術指導のため招聘したフランス人に生き血を飲まれる(彼らが赤ワインを飲んでいたから)、などという密やかなデマ等により、近隣からの女工から嫌われ、女工が集まらず、苦慮した後、国家の命に従うであろう旧士族達に、教育のある娘達を女工として送り出せ、という命を下したためでした。このような国の命令に従い、十代の娘達が、新しい時代の仕事に、国と、家の名誉のためという志を持って従事したのです。

0144_3 工場内に、開設当時女工として働いた、信州の士族の娘だった〔横田 英〕の写真と簡単な説明パネルが展示されていました。17歳の彼女が、国の命令を受けた父から女工募集の話を聞き、友人達と勇躍、県境を越え富岡に行き、懸命の努力で上級工女となって、後に地元信州にできた新しい製糸場で指導者を務めた、という彼女の当時の事柄を詳しく記した「富岡日記」は、当時の若い子女が初めて社会人として仕事に向かう苦労や、健気に努力する姿が克明に記されています。中でも心打たれるのは、士族の子として育った娘達の矜持の高さです。父母の教え、家族、環境、そして国といったことをまだ若い娘達がしっかりと認識し、自らの生きる規範にし、誇りとおもいやりの心を持って生きていたことが、この日記を読むとひしひしと分かります。

0137 この日記を読み、現在の施設の在り様を見ると、明治の若い女性達が青春を賭けて仕事をしていたこの施設を、もっと人間味のある、明治人の匂いのする展示にしなくては、彼女らの流した汗や涙、努力に報いることが出来ないのではないかと思います。日本の近代化は決して政治の力や、金高でできたものではなく、人の力でできたものだと思うからです。

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広大な施設の維持管理をするのは、現在管理する富岡市としても並大抵の努力ではないことは分かります。しかし、これらの施設はかつて人の力で稼動したのだ、という観点から考えると、明治人の匂い、働いていた人の心といったものが、もっと具体的に伝わる施設展示にすべきだろうと思います。

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帰路の電車の中、K氏の配慮に感謝しつつ、人の心、といったものを改めて考えさせられた良い旅であったと思いました。

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<きょうのおまけ>

Ts380075 鶏・副葬品=中国・漢時代

鶏の手前にあるのは、ローズヒップ

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<菫=すみれ、の独り言>

Ts380117_5 「こんにちは~、すみれで~す。ワタシはいつも、パパのお腹の上に乗っている、と思っているでしょう。実は違うのよ。一日一時間くらいなの。いつもの通り、この間もパパがテレビを見ていて、ワタシはお腹の上でウトウトしていたら、お決まりのバカヤローよ。ワタシはもう慣れたけれど、やはり一度はビクッとするわ。その時はテレビで厚生労働省とかの人達が、今後の国民年金の算定の仕方を”浮世離れ”したやり方で計算して、実際には有り得ない見込みを発表したとかいう時だったの。パパは本当に怒ってたわ。役人根性もほどほどにしろ!、腐りきった奴らだ、って。ワタシは詳しいコトは分からなかったけど、パパが怒っているのなら、ワタシも怒る。だって家族ってそういうもんじゃない?。ニャーね~」

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大盛りすぎる展覧会&年末姉妹猫対談

あまり期間を置かずに二つの展覧会を観ました。ひとつは恒例の『再興第93回 院展』(横浜・そごう美術館、既終了)と、もうひとつは横浜美術館で開催中の『セザンヌ主義』(横浜美術館、~2009年1月25日)のふたつです。

日本画の画壇、日本美術院。1898年、岡倉天心らが創設し、その後の日本画壇の中心的な団体であると見做される団体が、春・秋に会員、その他の日本画家達が応募した作品を展示する『院展』。

0118 春の展覧会は、小品なども出品されていて、さまざまな実験的作品も観られますが、秋の展覧会は、全て大幅の作品ばかりで、洋画的サイズでいえば、100号、150号、また200号というサイズの作品ばかりです。単に観る側からしてみれば、・・・これは疲れます。

0119 それぞれ作家達が渾身の力作を・・・ということですが、観る側は何しろ総計88点もの大作を観るのですから、容易なことではありません。それも全て、自分の感覚に合う作品ばかりではありません。むしろ感覚の違う作品がほとんど、といってもいいくらいの作品ばかりで、・・・これは疲れます。

日本画も流行り、廃りというものがあるようで、全体を眺めていると「ああ、今年はこういうザラザラした感じの絵が流行なんだネ」と分かります。そういった感じの作品を、88点も観るということは、・・・これは疲れます。

目に新しい作品は・・・残念ながら、という感想しか持てませんでした。先輩達の作品には素晴らしい作品があるのですが・・・。

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0122 次いで、横浜美術館で催されている『セザンヌ主義』です。この展覧会は伝統的な絵画の造型原理に基づきつつ独自の新しい表現を創造した画家、ポール・セザンヌがその後の「象徴主義」「フォーヴィズム」「キュビズム」などに属する画家達に及ぼした影響を辿るものですが、この展覧会も展示作品数が多く(期間中展示替え有り)、145点もの作品が展示されていました。その殆ど全てが美術の教科書に掲載されているような有名画家達ばかりです。

ポール・ゴーギャン、キース・ヴァンドンゲン、アメディオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソ、マルク・シャガール、ジョルジュ・ブラック、アンリ・マティス、ラウル・デュフイ、モーリス・ヴラマンク、国内では安井曽太郎、有島生馬、小出楢重、岸田劉生、小林古径等々、錚々たる画家達の作品が、切れ目なしに続くといっていいほどの作品数でした。・・・これは疲れます。

0123_2 最近、新聞紙上に高名な某美術評論家が、この展覧会について、一人の偉大な画家が、同時代、その後の時代の画家達に及ぼした影響を、丹念に掘り起こした展示で、学芸員の労を多とする、という文を書いていました。たしかにポール・セザンヌの画業の影響は多大なもので、いわば近代美術史に於いて、画期的といえる絵画の世界を現出させた、といえるものだと思います。しかし、敢えてしかし、これだけ有名な画家達の作品の羅列は・・・これは疲れます。

0121 仮に、一枚の作品に5分程度の鑑賞時間をかけるとして、145作品で、725分。全てを観る時間は12時間もかかる計算になります。3分程度の流し観でも7時間以上かかります。これだけの大家達の作品ですから、それくらいの鑑賞時間が必要ではないか、と思いますし、おまけに各パート毎に、丁寧な解説文パネルが掲示されていて、それを懇切丁寧に読んでいると、もっと時間がかかることになります。・・・これは疲れます。

大きな展覧会を鑑賞するのは体力勝負です。じっくり鑑賞するとなると、老人や日頃疲れ気味のサラリーマンなどには耐えられないほどの体力を要求されます。企画したり、展示する側は、数年の準備期間を経て、乾坤一擲、これでど~だッ、という晴れの展覧会ではあるのでしょうが、観客にとって一日かけても観きれないほどの展示作品を並べられても、・・・これは疲れます。

例えば一年をかけて、四季毎に、今回の4分の1程度づつの作品を展示する、という、いわば通年企画のセザンヌ年、という企画であれば、その年は、いつ横浜美術館に行ってもセザンヌが観られる、ということになるのでしょうが、70日間の期間とはいっても、概ね同じ展示に、高額な入場券を買って、そう何回も行くわけにもいかず、・・・これは疲れます。

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今年も様々な展覧会に行きました。このblogに書いていない展覧会も沢山観ましたが、しかし納得のいく展覧会は数えるほどしかありませんでした。企画側の思い込みだけのものや、企画意図が分からないものも多くありました。総じていえば、最近の展覧会はお祭り的イベントといった感じのものが多く、そういう意味からいえば、作家が観客に挑む、といった意気込みが感じられないものが多かったように思います。また、展示演出が稚拙な展覧会が多かったという印象もあります。

展示演出に興味のある私としては、企画がいくら素晴らしい展覧会でも、展示演出が稚拙なものや、作品を生かしていないものは評価が下がります。各博物館、美術館の学芸員さん達は、もっと展示演出を重要視していただきたいものだと思います。

もう手元には、各館の展覧会の予定が届いています。来年はどんな作品を、どんな演出で観られるのでしょうか。

このblogを読んでいただいた皆様に感謝し、来年のご多幸をお祈り致します。

良いお年をお迎え下さいますよう。

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<今年最後のおまけ>

Ts380286_2 花=フロリバンダローズ・iceberg

花器=灯火器(インド)

敷物=ナチュラルカラーショール、素材(シルク、ウール。手編み・作家:吉田加寿)

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<年末姉妹対談:ごく最近のこと>

対談=菫(すみれ:妹)、蕾(らい:姉)

080522_165301_3 菫「最近、パパのご機嫌が悪いのよ」。蕾「ワタシもそう思う。何でかしら?」。菫「テレビを見ながら、時々怒鳴ってるのよ」。蕾「テレビで何か気に入らないことがあるのかしら?」。菫「パパの話を聞いていると、最近のテレビのニュースでは、不必要なことを、さも大事件のように云うンですって」。蕾「どういうこと?」。菫「例えば最近多い殺人事件のニュースなんかで、事件の後、警察の捜査状況なんかを、こと細かく説明するんですって。パパは、事件の原因を説明するのなら分かるけど、あっち070524_174301_2 で刺され、こっちに血痕が、なんて要らない、って」。蕾「フーン、でもそうよね。殺人事件の細かい現場状況を聞かされても、生々しいだけで、思わずイヤ~って言っちゃうものね」。菫「来年から裁判員制度っていうのが始まるンだって。裁判員に選ばれた人が、事件現場のもの凄いカラー写真を見せられたらPTSDになっちゃうゾ、ってパパが云ってたわ。パパは昔、テレビ局の事件記者をやっていたから、凄い現場写真を沢山見たらしく、思い出しても気持ちが悪くなるって言ってたわ」。蕾「裁判員がもしPTSDになったら、法務省はどうするのかしら?」。菫「そんなことは考えていないンじゃない?」。蕾「ヒドイわネエ」。菫「もし、被告が裁判員を恨んで、裁判後に裁判員に報復する、なんていうことが起こったら、どうするンだろう?」。蕾「それも法務省は知ったこっちゃない、ンじゃない?」。菫「パパは、裁判員は裁判官や弁護士を目指している人達にさせればいいのに、って言ってたわ」。蕾「いくら国民の権利って云っても、PTSDなんかになったら大変だし、被告に逆恨みされるのは困るわねェ」。菫「そうそう、このあいだパパが、殺された被害者の両親が車から降りてくるニュースで、テレビのカメラで撮影されて逃げられない両親に、今の気持ちは、って記者が聞いているのを見て、激怒していたわよ。パパのお腹の上でワタシ驚いちゃった」。蕾「テレビ局って、報道する時には被害者には情け容赦無いわよネエ」。菫「それでいて、加害者の写真にはモザイクをかけたりするのヨ」。蕾「人権問題だっていうのなら、被害者の人権ってのもあるわよネェ。これまで何度も、報道機関の取材姿勢について、各社で話し合ったりしているのに、現場はな~ンにも教育されてないわけよネ」。菫「この間もパパが、報道姿勢もそうだけど、一般的に日本人の矜持とか、恥の意識がまるで無くなってきた、って云ってたわ」。蕾「そうよネエ。電車の中で平気でお化粧する若い女性や、混んだ車両の中で、子供が走り回っても注意をしない若いママ達とか、そのくせママ同士はお喋りに夢中なんだっていうわよネェ」。菫「パパが怒るの無理ないわ。人前でお化粧なんてとんでもないわよネェ」。蕾「ワタシ達は絶対しないわよネ」。

蕾「今年は政治も社会も悪い一年だった、ってパパが云ってたネ」。菫「社会が悪くなった時ほど、政治の矜持が問われる、って難しいこと云ってたわよネェ」。蕾「来年は丑年なんですってネ。ゆ~っくり考えて、じっくり実行するって年になればいいけど」。菫「祈るしかないわよネ」

菫&蕾「みなさ~ん。今年もこのblog見ていただいて有難う。皆さんの新年が良い年でありますよ~に!。また見てネ~~」

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時間のブラシ、アンドリュー・ワイエス展

アメリカの画家であるアンドリュー・ワイエスについては、以前からその作品の持つ静謐さと精密な筆致、また画角の素晴らしさ等に感嘆し、だいぶ前に画集を求め、繰り返し眺めていました。

0116 ワイエスの作品は、日本人の感性にフィットするものが多いようで、国内で初の回顧展が催された1974年以来、沢山のファンがいるようです。今回、渋谷・Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている展覧会『アンドリュー・ワイエス~創造への道程~』(~12月23日)の会場は、そんなワイエス・ファンでいっぱいでした。

幼少の頃から挿絵画家の父に絵の手ほどきを受けたワイエス(1917~)が、長ずるに及んで、自分の周囲の限られた人達や建物、風景などを丹念に描くようになったことは、彼と近親者、建物、周囲の自然、といったものとの関わりの「時間」を描いているように思います。時間によって風化していく周囲のもの達への憧憬、といったものも感じられる作品が多いようで、そんなところが日本人の好きな、もののあはれ、にも通じるようです。

0112 茶系統の色を多く使って丹念に描かれた作品の多くは、建物や、その内部が、画の端に見える人や作業道具などからは、それぞれの体温、木のぬくもりが感じられ、対象に注ぐ作家自身の想いの暖かさが見えるようです。縦と横の線が明確で、板の木目まで描く、まるで細密画のような描き方は、対象物との間の空気の透明感、が感じられ、時間による風化という概念をなお克明に見せているようです。

0113_2 そして何よりも現代性を感じさせるのが対象物の取り切り方です。これは写真家が被写体をカメラのファインダーで取り切るような感覚でもあります。作品には窓の半分、人物の半分で切られているものも沢山あります。これまでの絵画の概念のように、対象物を全て画角の中に取り込むのではなく、作家の見たままを四角の画角に取り切る、という作風です。そして切り取った構図には、常に風が吹いているような感じがします。時間という風に磨かれ、ささくれ立ち、色褪せて、あるがままの姿で時間のブラシに耐えている風景、人達、をさりげなく取りきってみせるのがワイエスの手法のようです。そしてそれぞれの作品が明瞭な筆致であればあるほど、描かれている物の、時間に対するの抗い難い哀切といったものが感じられました。

0115 今回の展覧会には150点に及ぶ作品が展示されていますが、ワイエス夫妻が所蔵している習作も沢山ありました。スケッチ風の習作に、水彩絵の具の飛沫が付いている習作などは、作家の作品に打ち込む一心不乱なエネルギーが感じられました。

0114 会場内には、ワイエスに対するインタビュービデオの上映コーナーも設けられ、91歳になるワイエスの、高齢とは思えない明瞭な声や姿に接することができました。

美しいものを観た、暖かいものを観た、時間の冷酷さを観た、そんな展覧会でした。

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<きょうのおまけ>

Ts380274_2 『器=灯火器・中国、清』

『花台=横浜山下町居留地レンガ、明治』

『花=バラ(heritage)』

『背景=麻織り(作・吉田加寿)』

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<菫・すみれのひとり言>

070810_142301 「そろそろ12月よネ。人間は年の瀬っていうらしいンですけど、随分忙しくなるんですってネ。ワタシも冬毛になって、ウインターファッションになったのヨ。パパに聞くと日本の江戸時代は、今よりもっともっと寒かったンですって。ワタシみたいにホットカーペットで昼寝なんてしていられなかったらしいのヨ。その頃の猫達はどうやって寒い時期を過ごしていたんでしょうネ?。でも人間達も今年は歳を越せない人達が沢山いるらしい。みんながみんな政治のせいじゃないだろうけど、能天気で、連日バカなコトを云ってるソーリダイジンって人とその取り巻き達が、な~んにもしないせいでもあるって、パパが云ってた。このあいだもテレビに向かって、ヌクヌク冬を過ごせる人達には、ナントカ給付金なんていらないンじゃないの?って云ってた。よく分からないけどワタシは、パパのお腹の上で、ニャーって返事をしておいたワ。皆さん風邪なんかひかないでネ~~~~~。」

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人の寿命、絵の寿命

東京都台東区の上野公園に出かけました。公園内にはさまざまな美術館、博物館がありますが、今回訪れたのは国立西洋美術館。現在開催されている企画展は、デンマークの画家『ヴィルヘルム・ハンマースホイ~静かなる詩情~』というものですが、今回は企画展は観ずに、常設展を観ることにしました。

0110 この美術館は、元・川崎造船所の社長だった松方幸次郎が収集した美術コレクションを母体に1959年に設立された館です。ご存知のように松方は、大正、昭和にかけての実業家ですが、貨物船の売り込み、資材の買い付けなどで訪れたロンドンで、1000点以上の作品を収集したり、フランスの実業家が保持していた浮世絵など8000点も購入するというコレクターでヨーロッパ各地で美術品を蒐集しました。

その後、購入地にあったそのコレクションは世界大恐慌による川崎造船所の破綻、第二次大戦後の戦勝国による作品の差し押さえなどで、作品の多くは数々の運命を辿り散逸しましたが、フランスが差し押さえていた数千点の作品の内、絵画196点、版画26点、彫刻63点、書籍など370点が、美術館に展示するという条件で返還されることになり、国立西洋美術館で公開されることになったというものです。

0111 ところで今回、企画展を観ずに、常設展を観ようと思ったのは、美術館の収蔵作品を観れば、その館の実力、ポリシーなどが窺えるという、これは美術館探訪者の常道ともいえる考えからです。企画展は内容によって作品自体は他の館などから借りてきても成り立つものですが、常設展はその館が収蔵している作品の展示でもあるので、館のバックグラウンドが現れるものです。

世の美術館、博物館は、企画展は麗々しいのですが、こと常設展となると大変に貧弱な展示になり、がっかりする場合が多く、館の裏側が透けて見えることが往々にしてあります。収集している作品の常設展示は、ある意味、館自体の経営状態を示すものでもあります。また館の学芸員の見識を問うものでもあり、慎ましやかな常設展でも、学芸員の企画が光るものもあります。

松方コレクションを母体とした、この館の収蔵品はルネサンス以降の西洋美術の流れを観ることができるものでもあります。今回の常設展でも、14~16世紀イタリア絵画、15~17世紀北方絵画、17世紀イタリア絵画、17~19世紀初頭の風景画など96点が展示されています。

0107 展示作品の14~16世紀のイタリア絵画などは、聖書の場面説明の作品が多く、旧約聖書を読んでいないとなかなか難しく、さまざまな約束事が理解できていないと鑑賞しきれないという感じはしますが、その筆致の確かさ、構成の巧みさなど、600年を経た作品の力に圧倒される作品ばかりです。

今回の展示で大変興味深かったことに、会場の照明のことがあります。いずれの作品も、大変観やすい照明だったと思います。このところあちこちの展覧会で、「作品保護のために照明を落として展示しています」という但し書き付きで、本当に薄暗い照明で作品展示している場合があります。たしかに古く、貴重な作品なのでしょうが、私などは、こういったことは作品が公開展示に耐えないもの、として観てしまいます。

0108 例えば鎌倉にある大谷美術館は、室内光はほどほどに押さえ、広い窓からの外光で作品を見せるような配慮をしています。室内に飾った絵画を、窓からの外光による間接照明で見せる、という工夫です。大きな美術館でこのような採光は困難なことは理解できますが、作品保護のための薄暗い照明というのは如何なものか、と思います。

明るい光の中で作品が観られない、作品が一般展示の照明に耐えられないということは、その作品の役目は終わっているのではないか、と思うのです。作品にも自ずと寿命というものがあり、きちんとした照明で観ることができない作品は、公開できないもので、冷暗保存室で保存延命を図る作品、ということになるのではないかと思うのです。

人が制作した作品で、未来永劫に命を繋ぐ、というものは有り得ないと思うのです。人に寿命があるように作品も寿命があるのだと思います。他者に鑑賞してもらう目的の作品は、他者の鑑賞に耐えられなくなった時に、その生命を終えるのだと思うのです。そういった時の流れと儚さを認める覚悟を持つことも、美術作品に向かう時の心構えのひとつなのではないか、と思うのです。

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<きょうのおまけ>

081006_110901_2 花=バラ(Heritage)。春は勿論、秋にも咲きます。

花器=バカラ・ゴブレット

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080923_114501 「コンニチワ、わたし菫(すみれ)です。ここんとこパパは怒りっぱなしなの。で、わたしも怒ることにした。

この間もパパのお腹の上で寝ていたら、テレビを見ていたパパが突然、バカヤローって怒鳴るのよ。なにかしらと思ったら、テレビでソーリダイジンとかいう口のヒン曲がった人が所信表明とかいってワケの分からない質問を言ったンだけど、それに対してミンシャトーのオザワってねぼけ顔のオヂサンが答えたの。パパはどっちが総理か分からない!って言ってた。パパが教えてくれたンだけど、オザワってオヂサンの方がよほどグタイテキな政策を話したンだって。コクミンに分かりやすいコトを話したオザワサンはソーリダイジンじゃないんだけど、肝心のソーリダイジンよりよっぽど国民に分かりやすい話をしたンだって。何日か後に、タナカヤスオっていう小デブのオヂサンが国会で質問した時もパパは、的確な質問をしているのに大臣の答えが真面目じゃない、って怒ってた。

パパは前からネンキンについて相当怒ってた。まともに老後を送れるような額でもないネンキンなのに、それを集める国がメチャクチャなやり方をしていたんだって。そして欲しけりゃ国民から言って来いって態度なんだって。パパは、老後を安心して送れないような国じゃ、安心して子供なんか産めないじゃないか!、少子高齢化はもう何十年前から分かっていたことなのに、何の方法も考えてこなかった役人や政治家達は、国家的犯罪者だって言ってた。金返せ!って怒ってたヨ。

パパが怒って怒鳴ると、お腹が動いてわたしが寝にくいの。お願いだからパパを怒らせるの、やめて!。しまいにはワタシも怒るヨ。」

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上手い画家は上手、ミレイ展

どんな時代にも伝統を重んじるアカデミズムといったものがあり、その体制に反発する者が出てきて・・・という構図は繰り返されるものですが、1800年代半ばのイギリスに現れた『ラファエル前派』を名乗る画家グループは、少数でありながらそれぞれが素晴らしい作品を残しています。このラファエル前派の中心人物ミレイの作品を見に、東京渋谷bunkamura、ザ・ミュージアムに行ってみました。

この『ジョン・エヴァレット・ミレイ展』(~10月26日)は、朝日新聞社等が主催しているため、開催以前から新聞でのパブリシティが盛んで、紙面に今回の代表的と云われる作品「オフィーリア」のカラー写真なども掲載され、その悲劇的な構図などから、話題を呼んでいました。

0096 この『ラファエル前派』は、前述のミレイのほかに、ウイリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなどが中心となって1848年に結成されたイギリスの若手芸術家グループですが、彼らは当時の絵画の教則本ともいえるラファエロの理想に反発し、ラファエロ以前の素朴な芸術世界を求めようという理想を持った者達です。

0102 作品を見ると、写実的な力は本当に凄いもので、私のように中世絵画を読み解く知識の無い者にとっても「上手な絵」だと思えました。以前にもこのblogで書きましたが、日本のプロの絵描きさん達の中には「素人に分かるような絵を描いていては先は見えてる」などと云う人もいます。しかし私は、素人に上手いと感じさせられない画家は、一流とは云えないと思っています。

0104_2 会場に展示されている約80点の作品は、それぞれが重厚で丁寧に描き込まれた写実的な作品ばかりでした。しかし、写実的な作品であればあるほど、その裏面に込められた約束事、暗喩、比喩等はかえって表面化するもので、精緻な筆致と描写的な構図に隠された約束事は、作品を見ている間にも謎は深まるばかり、という展覧会でした。また月並みな感想ですが、ミレイが描く女性の顔と、同じグループのロセッティの描く女性の顔がそっくりなのは、お互いに切磋琢磨?したためなのかしら、などと思ってしまいました。

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しかしこの会場で、こういった一流画家達の作品を鑑賞する場合に、いつも思うことは、「何という展示演出なのだろう?」ということです。今回もまるで安手のバザールのような展示、というより飾りつけで、ウルサくて目線が泳ぎます。そんなにお祭り風にせず、19世紀のイギリス絵画を落ち着いてじっくり鑑賞する場にして欲しかったと思います。作品の重厚さとはまるで違ったチグハグな演出ばかりが目につきました。

展覧会はたしかにイベントなのですが、イベントが全てお祭りではないでしょう。展示演出は企画の表現、という観点からいえば、このミュージアムはいつもお祭りの企画ということになるのでしょうか。

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<ワタシの耳は・・・>

060424_1022001_2 「このあいだ、パパとテレビを見ていたのヨ。そしたら今ソーサイセンとかいうのをやってるンだって。政治家とかいうオヂサンやオバサンが皆マイク持って、コクミンの目線でっ!とか売り込みに必死だったわヨ。目線って売り物だったのネ。でも政治家っていう人もコクミンなのよネ。コクミンがコクミンにコクミンの目線を売り込むってオカシくない?。これまでナ~んにもしてこない政治家が、今後ナニかやります、なんて信用できるワケがないってパパがブツブツ云ってた。パパのブツブツを聞いてるうちに、ワタシ、政治家って、いろいろ考えない人や性格の悪い人がなるのかァって思った。パパは、人の資質って言うンだって教えてくれたけど、じゃあ政治家って資質の無い人のためのお仕事なの?。」

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白船来航でのお祭り外交手腕はエライ!

0094 全国の市町村に、さまざまな記念館や博物館などがありますが、私の住む横浜に、横浜開港資料館という施設があります。この施設は安政5年(1858年)に結ばれた日米修好通商条約によって、1859年に神奈川、長崎、箱館(函館)の3港を開港した当時の、横浜に関する文物などを展示するために1981年に建てられた施設です。

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日本に黒船がやってきて驚愕した日本に、その半世紀後、今度は『白船』がやってきた、ということをご存知の方は少ないかも知れません。この資料館でいま『白船来航』という企画展を行なっているというので出かけました。(~10月26日)

0095_2 黒船来航後、半世紀経った1908年10月に、アメリカ大西洋艦隊全艦、16隻が横浜にやってきました。これはそれまで黒色に塗られていたアメリカ海軍の軍艦が船体を白く塗り替えて、世界一周の演習の途中に横浜に寄港したものです。彼らは自らをGreat White Fleet(白船艦隊)と名乗り、演習と称して世界中の主な港に寄港し、各国にアメリカ海軍の示威行動を行なっていたのです。

当時、日露戦争に勝利した日本は、満州での利権や太平洋での影響力などを巡ってアメリカと対立を深めていました。黒船来航から半世紀の間に、日本は世界で第5位の海軍力を持つようになりましたが、白船艦隊はそんな日本に対してのアメリカ海軍の示威行為でもありました。

しかし、肩怒らしてやってきた白船艦隊は、思わぬ肩透かしを食うことになります。というのは当時の日本政府は、この寄港を国を挙げて歓迎したからです。日本政府としては、アメリカが正式に世界周航を発表してすぐに、ぜひご招待したいという表明したのですからこれは当然ではあるのですが、アメリカ海軍大西洋艦隊は、思惑が外れたという印象だったようです。

0098 横浜港には、日本の接伴艦の戦艦三笠をはじめとする軍艦16隻、アメリカ艦隊16隻が整然と並び、その周りには新聞社や役所が仕立てた歓迎船がひしめいていたといいます。これを見ようと、海岸通りは朝6時頃から黒山の人で、通りに並びきれない人は街路樹によじ登り、当時の東京新聞は「樹木は人間の数珠のようだ」と報じています。横浜市民は歓迎の花火2400発を打ち上げ、停泊中の艦隊をサーチライトで照らし、横浜市内の繁華街は、歓迎門や提灯飾りを作るなどの趣向を凝らして歓迎したといいます。白船の乗員1万3000人のうち、3000人余りが上陸しましたが、勿論県知事や市長の晩餐会なども盛大に行なわれました。

0097 横浜で歓迎されたアメリカ海軍はその後陸路、東京に向かい、皇居での天皇謁見、東郷平八郎海軍大臣や桂太郎首相の園遊会、晩餐会などで歓待されました。東京・新橋では花電車が走り歓迎したといいます。ほかにも来航記念品として、飾りピンやベルトのバックル、スプーン、白船を描いた団扇、果ては日本とアメリカの国旗の模様のお守り袋まで発売され、新聞なども書き立てました。来航した艦隊員にとって夢のような8日間の日本滞在だったようです。

『白船来航』時のアメリカ国内は、武力をつけはじめた日本に対し、対日強硬論が蔓延していましたが、艦隊寄港後、時のローズベルト大統領は、日米関係の安定化を図る方向に努力したということです。

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館内でこれらの資料を眺めていて思ったのですが、日露戦争も経て軍事力はついてきたとはいえ、開港から50年余りしか経ていない日本の首脳に、たとえ薄氷の想いであったにせよ、これ程の外交手腕があったということは驚きでした。アメリカの軍事的パフォーマンスを大歓迎という形で受け止め、市民にお祭り騒ぎをさせ、アメリカの世論を好転させたこのやり方は、半世紀前に、やっと世界を相手にし始めた日本ができる外交手段としては素晴らしいものだったのではないか、と思いました。

勿論、その当時のアメリカの軍事力と日本の軍事力との比較などを考えての外交的措置ではあったのだろうと思いますが、そんな政府の深慮遠謀とはあまり関係なく、歓迎気分だけで盛り上がった横浜市民のお祭り騒ぎに「今も昔もハマッ子は変わらない」と思ってしまいました。

しかし、それから約半世紀後、アメリカ連合軍相手にあの太平洋戦争を起こしてしまう日本を考えると、さまざまな理由があるにせよ、やはり国の首脳は、首脳たる明晰な判断力、外交手腕を持っていなければならないのだと思いました。昨今の日本政府の首脳陣の力量の低下、外交的手腕の無さには、言葉も無いといった気持ちになりました。

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最後に・・・展示は、正直いって見やすいものではありませんでした。壁面と平面のバランスが悪く、定まった空間に資料と解説パネルが混在していて、眺める方にとっては極めて混乱する展示だったと思います。また時系列で追えない展示なので、当時の市民のワクワク感や、軍艦の威風が伝わってきません。視覚的に混乱する展示だったという想いが残りました。

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<きょうのおまけ>

Pa0_0073_3 花器=銅製水差し(中国・西周)

花=バラ(Irene Watts)

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070706_215601 「菫(すみれ)です。パパは高校野球やオリンピックが終わって、あまりテレビを見なくなったの。それはオリンピック中継で日本のテレビは日本の選手の場面しか放送しないのでつまらなかったンだって。世界の金メダリストの場面の放送をやらないなんて、メディアとして大人じゃないンだって。ウ~ン、ワタシもそう思うヨ。ではまた~~~。」

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懐かしいアヴァンギャルド

近・現代美術史というものは、その時々の社会的背景によって評価が変わり、その総体は一般的にはなかなか捉え難いものです。いま東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで行なわれている『青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで』(~8月17日)を観て、そう思いました。

0086 今回の展覧会は、モスクワ市近代美術館の所蔵品を中心にしたおよそ70点の作品を展示して、1900年代初頭から始まり、近代、現代の美術に多大な影響を残した芸術運動、ロシア・アヴァンギャルドの流れを追う、というものです。

0089 ややこしいことを書きますが、ロシア・アヴァンギャルド運動というものは、ヨーロッパで絵画が、具象から抽象に移行し、これまで眺めて鑑賞するという純粋芸術だった絵画形式が否定され、三次元の作品や、身体的パフォーマンス、また印刷物などの複製技術を応用する表現媒体が多様化した表現の始まり、といえます。このアヴァンギャルド運動の時代、1900~1920年代に何故、ロシア・モスクワでこのような芸術運動が始まったのかといえば、社会主義革命を目前にして、産業成長に伴った社会の都市化、大衆化が急激に進んだため、というのがその背景にあります。芸術家達が、これまでのような鑑賞される芸術ではなく、大衆とのコミュニケーションを目的とする目的で、表現を多様化させていった、という流れ、の発端がロシア・アヴァンギャルドといえるようです。

0092_2 それは同時代のアール・ヌーヴォーが近代産業社会に反発して、自然回帰などの考えに進んだのに対して、アヴァンギャルドは工業やテクノロジーなどを歓迎し、機械と芸術の融合、大量生産という大衆化時代への要請に反応した、という違いでした。このスタイルの違いは、アール・ヌーヴォーは自然をモティーフにした有機的なものですが、アヴァンギャルドは機械をイメージした幾何学的スタイル、といったものです。

0087 シャガールや、カンディンスキーもロシア・アヴァンギャルドの芸術家だった、というのが、今回の展覧会のひとつの謳い文句になっています。二人はこれまでヨーロッパのエコール・ド・パリの芸術家というイメージを持っていた人は多いと思いますが、彼0093 らはロシア・モスクワでこの前衛芸術運動に参加し、カンディンスキーはマレーヴィチと共に、抽象絵画への道を開いた先駆者でもありました。

0088_3 このロシア・アヴァンギャルドという芸術運動が、その後の芸術家達に与えた影響は多く、現在の現代アートの作家達のほとんどはその影響を受けている、といって過言ではありません。

展示されている作品は、現代の美術に親しんだ私の目には、とてもクラシックな作品に映りました。制作当時のエネルギーは、沸々と感じられるのですが、いずれの作品も「子供の頃に教科書や、美術の本に載っていたような作品」で、時代背景を考える前に、懐かしさを感じました。社会主義運動の発揚を表している、今で言えばポスター的作品は、日本の戦後、労働運動のポスターに盛んにそのスタイルが流用されたような感じのもので、大衆芸術運動の初現といえるような作品でした。

今回の展覧会は、現代の芸術運動の流れを改めて見直す良い企画であったと思います。

ただ、会場の展示演出は些かゴテゴテとし過ぎていました。現代調のポップな背景に、1900年代初頭の凄まじい芸術運動の作品は似合わないのではないか、と思います。作品の持つ時代のエネルギーがあまり感じらず、チグハグな展示だったと思いました。

100年前のエネルギーを伝えるには相応の演出が必要だと、帰路、多彩な宣伝表現に溢れた酷暑の渋谷の街を歩きながら考えました。

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<きょうのおまけ>

Pa0_0072_2 花=バラ(Ballerine)

花器=青銅カップ(バクトリア・紀元前3000年期)

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Pa0_0278 「こんにちは、菫です。なんだかヤスオおじいさんが、内閣とかいう自分のスタッフを新しくしたんだってネ。いろいろ世の中を良くしますってテレビで言ってたけど、私の好きなミルクも安くしてェ~~。」

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対決!名人vs職人

「美は時代を越える」とか「芸術は時を超越する」などといわれますが、現代、芸術品と呼ばれている品が、制作された時代の感覚を色濃く残しているのは当然のことだと思います。しかし制作された時代に、その品はどのような評価をされていたのでしょうか。当時の庶民に持て囃された、当時の一部の人達をうならせた、等々のことがなければ、現代に於いても評価されないのではないかと思います。製作された時代から現代まで、保存されてきた品々には、製作当時の”時代の火照り”といったものが感じられます。

いま東京国立博物館で行なわれている展覧会『対決 巨匠たちの日本美術』を観にいきました。(~8月17日)

0082_3 この展覧会には国宝、重要文化財50点余を含む、全100点余りの、時代を象徴する美術品が展示されています。展覧会のパンフレットには、時代を代表する絵師や仏師、陶工らが師匠や先達の作品に学び、時にはライバルとして競い合う中で傑作が生まれた。これら芸術家の作品を比較し、中世から近代までの巨匠たちを2人ずつ組み合わせ、対決させる形で紹介する、とあります。

展示されている作品はそれぞれの製作期や、製作者同士の相関関係などを考えると、必ずしもそれぞれ2人がライバルであったとは言い切れませんが、展示されている作品の多彩さや、作品の知名度の高さなど、展覧会企画としては面白い試みだったかも知れません。何よりもこれだけの貴重な品々を一挙に観る機会は少ないと思います。

0084_2 展示作品が、小中学校の美術の教科書にも掲載されているような有名なものも多く、そのせいか平日にも関わらず会場は凄い混雑で、小さな工芸品などは人の頭越しにチラと見える程度でした。

この展覧会は、今回、創刊120周年を迎える『国華』という美術研究誌の節目を記念してという意味合いもあります。国華は明治22年に岡倉天心らによって創刊された、世界的にも歴史のある研究誌で、日本、東洋の美術についての論文や、作品写真等が掲載されているものです。展覧会場とは別にコーナーがあり、立派な装丁の国華が展示されていました。

先に、時代の・・・と書きましたが、今回展示されている作品の中には、製作者個人が創ったものばかりではなく、例えば運慶、快慶の仏像などは、いわばそれぞれの工房、製作者集団が作ったものであり、個人が彫り上げたものではありません。また展示されていた光悦の『舟橋蒔絵硯箱』などは、光悦のデザインに沿ってそれぞれの職人が作り上げたものです。光悦は職人ではなく、デザイナーとして優秀だったといえます。光悦はさまざまな分野の作品を創りましたが、一説には「書は一流だが、あとの分野は意0085_2 匠デザインだけ」という話もあります。この展覧会では光悦と長次郎を対決させ、それぞれの茶碗を展示していますが、長次郎は安土桃山時代の陶工で、光悦は江戸時代初期に活躍した人です。豊臣秀吉の時代と、徳川家康の時代で、こういった陶工達の製作姿勢には自ずから時代背景の違いはあったと思います。まだ戦国の気風の残る京・大坂時代と、江戸に幕府を開いた時代では、製作者の目に映る時代の景色も違っていたのだろうと思いますが・・・、そんな気配を感じる余裕もないような会場の雑踏でした。

しかし、どの作品もさすがに力のある一級品で、これらの文化財的貴重品の数々は、それぞれが時の流れを越えて、こんなに感性の雑駁になってしまった現代でも光彩を放っていました。しかしこれらの作品の大半は、作者自らが最初から最後まで仕上げたという作品は少なく、実際は製作者の弟子達、工房、または職人達が製作者の指示を受け、創ったものです。ことに仏師などは大きな作品製作はチームを組んで行う、ということになっていて、後年、仏像の解体調査等をすると、仏像の胎内に製作者達の氏名が記されていることから、そういった事実が分かります。そのような意味では、作品から感じられる”時代の火照り”というものは、作者を含めたその時代の”職人の技術の輝き”、とも云えると思います。

0083_2 しかし、こういった作品は当時の権力者、豪商、寺社等の様々な依頼、庇護を受けなければ完成できなかったわけで、スポンサーに実力を認めさせる、これら製作者の種々の力量は並々ならぬものだったと思います。それぞれの時代で光彩を放つためには、技術、発想もさることながら、或る意味で、命をかけた営業力も必要だったのだと思います。

そして『時代が求めていた』、という気運も。

貴重な文化財を眺めながら、製作者達の作品に対する想いと同時に、職人技術の美の世界を堪能しました。

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<きょうのおまけ>

080628_134901_2

花器~油壺

花~バラ(Irene Watts)

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070613_073101 「皆さん、お元気ィ~。暑いわよネェ。人間の体温より高い気温のところも多いンですってネ。アタシ達、猫の体温は平均38~39度なの。でもこう暑くっちゃ、ワタシ達もコタえるのヨ。熱中症猫なンてことにならないようにしなくちゃ。温度ばかりじゃなくて、湿度が高いと熱中症になりやすいんだって。テレビのお天気おネェさん達は、こんなことを決して教えてくれないのよね。ニコニコしてりゃいいと思ってンのかしら。皆さんも温度、湿度にご注意を~~~!。」

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疲れましたァ、木喰展

最近は、健康食品として五穀米とか十六穀米といった商品が売り出されていて、健康志向のご家庭には評判が良いという話を聞きます。

昔、仏教の古義真言宗では出家した僧は『木食戒(もくじきかい)』という、守るべき規律があったそうで、『木食戒』とは五穀(米、麦、粟、稗、黍)、あるいは十穀(五穀、トウモロコシ、蕎麦、小豆、黒豆)を絶って、山菜や、木の実しか食べてはならないという戒律だそうです。穀類を食べずに、なおかつ修行するということで、果たして身体機能が保てるのだろうか、などと飽食の現代に生きる煩悩の徒は考えてしまいます。一心を究めようとするときの人間の身体能力は大変なものだと思います。

0078 こんな厳しい戒律を守り、日本全国を廻国修行しながら、およそ千体以上の仏像を彫り続けた木喰上人の仏像を観に、横浜の美術館に出かけました。『生誕290年・木喰展~庶民の信仰・微笑仏~』(~7月24日、横浜そごう美術館)という展覧会です。

会場には仏像およそ130点と、30点以上の資料が展示されていました。展覧会名にある微笑仏は、みしょうぶつ、と読むのだそうで、仏像の中に口元に笑みを浮かべたものが多く、伝統的な仏像彫刻とは異なった、荒削りで、素朴な作風が庶民の信仰を集めたということが分かります。

0079 木喰上人の生涯は、会場内の年表パネルなどでみると、享保3年(1718年)、現代の山梨県に生まれ、22歳で相模国(現・神奈川県伊勢原市)で出家、とありました。その後20年以上経た宝暦12年(1762年)に、45歳で師から木食戒を受け、木喰(もくじき)を名乗ったといいます。木喰が廻国修行に旅立つのは、それからなお10年以上後の56歳(安永2年、1773年)の時だったようです。

0080 廻国修行は、北海道の有珠山から鹿児島に至る日本全国にわたるものですが、最初に造仏したのは61歳の頃、蝦夷地であるというのが通説のようです。それ以後30年後の91歳まで廻国を続け、各地で造仏を続けたということです。初期の頃の仏像は、作風も荒削りで、仏像の表情も厳しく、沈んでいるものが多いということですが、その後次第に微笑を浮かべたものが多くなってきているようです。この微笑が木喰より100年ほど前に造仏していた円空とは違うところです。

0076_2 木喰上人は、91歳(1808年)まで造仏していた、ということが遺品から分かっているそうですが、その後消息を絶ち、遺族の記録では93歳(文化7年、1810年)にこの世を去ったといわれています。しかし確証はないようです。木喰仏は、本人の死後100年以上の間、民間信仰の中にあって、専門的な研究がなされることはありませんでした。民藝運動の推進者だった柳宗悦がこれらの木喰仏の存在を発見し、再評価したのは1924年(大正13年)のことです。

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会場に展示されている130体もの仏像を観て、正直疲れました。その疲れの中には、展示されている仏像に施されている「支えの道具」にもあります。像の後に金属の支柱を立て、その支柱から像の首、肩、もしくは胸部分を抑えるように黒くて太い棒が周っているのです。観ていて仏像を”拘束”している、という印象を受けたのは私だけでしょうか?。この支柱が施されている像では、思わず気持ちが引いてしまいました。

安定性の無い立体作品を展示する場合の固定方法は沢山あり、この会場でも透明な太いテグスを使っているものもありましたが、この黒い拘束支柱は、何ともいただけないものでした。せめて透明なアクリル性の押さえ具でも使って欲しかったと思います。各美術館、博物館などでの立体の固定方法はそれぞれ苦労されているのですが、仏像に対する日本人特有の恭しい気持ちと、展示側の考えの違いが浮き彫りになったような気がしました。人体彫刻や、立体作品などでは考えられない支柱です。もう少しデリカシイを持った展示にして欲しいと思いました。

疲れましたァ~。

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<きょうのおまけ>

Pa0_0071_2 花器=瑠璃水差し(中国・清)

花=バラ(Heritage)、イタリアンパセリ、スウィート・バジル。

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070719_113801 「こんにちは、菫(すみれ)です。最近は雨降りの日が多くて、ベランダに出ると自慢のピンクの肉球が濡れちゃうので、あまり遊べないのヨ。」

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詩人と酒の思い出

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった

日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる

ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」

       (田村隆一詩集内、「帰途」より、抜粋)

0064 戦後を代表すると云われ、斗酒なお辞さずと言われ、人をこのうえなく愛し、言葉と文字と現代に透徹した眼を持った詩人、田村隆一が亡くなって十年。回顧展『田村隆一~詩人の航海日誌~』(~7月6日)が鎌倉文学館で行なわれているというので、梅雨寒の日に赴きました。

田村さんは大正12年、東京生まれ。15歳から詩作を始めたといいます。

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私にとって生前の田村さんは、私が手がけていたテレビ番組の取材対象である一方、そのビビッドな詩文に現される鋭い現代批評の旗手でもありました。生涯で700篇を越える詩を世に送り出した、現代の詩壇を代表する稀有の人でした。

0063 長身で細身、実に格好がいい姿でした。鎌倉のどこでお会いしても酩酊気味。「お~い、どこへ行くんだ。そのカメラ(TV用)で、オレを写せよ」。あの時の田村さんの声がいまも耳に残っています。

時間に遮られることのない飲み会。店が看板になると「別の店に・・・」という際限のない飲酒時間が続き、そして鎌倉の病院の前で、白っぽいコートを着た田村さんの後姿を見かけたりもしました。半年飲酒生活、半年は入院生活、という・・・。当時私たち若造は、その計り知れないエネルギーに打ちひしがれ、畏敬の念を持ったものでした。

「皮膚の下には

どんな色の血液が流れているのか

たぶん 緑の導火線

その導火線が走って行く果てに

どんな花が開くというのか」

        (田村隆一詩集内、「皮膚の下には」より、抜粋)

酒、煙草、そしておよそ5回の結婚。ロアルド・ダール、アガサ・クリスティの翻訳。早川書房の最初の社員。そして田村さんは、人の心を震わせる『透き通った玉』のような詩を残しました。

「作品をして、わが『詩』を語らしめよ、というのがぼくの念願であって、それ以外に、詩について語る言葉を、ぼくは持たない」 

        (田村隆一詩集内、「祖父のこと、その他」、より抜粋)

享年75歳。詩人は鎌倉・妙本寺で眠っています。

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<きょうのおまけ>

080522_170601_2 花器=茶入れ(陶製、19世紀・ドイツ)

花=バラ(Ballerina)

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080516_085703

ここでも田村さんの詩を・・・。

「ぼくはまだ

猫の足音を聞いたことがない

桃色の耳の動きだけは

知っているつもりだが」

                (田村隆一詩集内、「足音」より、抜粋。)

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膀胱炎は痛い、ドクダミは美しい

080620_123801 およそ一ヶ月間、ブログの更新ができませんでした。その間もあちこちの展覧会には出かけましたが、それぞれ不満が残る展示だったことも、私の怠け癖を増長させた一因ではあります。

たしかに展覧会は、イベントのひとつではあるのですが、このところの展覧会は皆、どこかで見たような類型的なものが多く、伝えるもののないような気がしてなりません。

以前、某大手広告代理店が、イベントで、目新しい演出をして「これは新しい演出だ」と思ったことがあるのですが、その後どこの催しでも同じ演出をしていて、一年後には飽きてしまいました。柳の下の泥鰌は、そう何匹もいるわけではありません。昔は、他の人の演出を真似ることは恥としたもので、クリエイティブという仕事は、そういった矜持を持ったプロのものでした。新しい表現を開拓するのは並大抵の努力ではできませんが、最近は芸術家や表現者までが、他人の表現を真似たりするという、いわゆる著作権侵害で話題になることも多いようです。

自らの作品、表現は唯一無二ののものだ、という思い入れが希薄になっているような気がします。思い、という感情が弱くなっているのでしょうか。展覧会などを見ても、学芸員やキュレーター達の気迫の無さは、観る者にとって腰の引けるものです。主張の無い展示は、薄っぺらなものです。

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080620_123501 水無月も半ばを過ぎ、本格的な梅雨空です。この季節は雨の季節であり、花の季節でもあります。紫陽花はあちこちの名所に行列ができるような具合で、今が盛りという頃です。

昨年、このブログでも書きましたが、この季節はドクダミの花が美しい季節でもあります。蕺(どくだみ)、十薬、魚腥草ともいうようです。ある統計によると、ドクダミの匂いが嫌い、という人は50%を越える、という数字もあるようですが、私は好きです。こういった系統の香りは各種の香菜などにも共通するようで、パクチーもその系統に入るようですが、私はパクチーも大好きです。どんな食物にも香りがあります。味覚だけでなく香味も感じるのが料理を食べるという行為だと思うのです。少々しかつめらしく言えば、匂いを持つ人間が、匂いを持つ生物の生命を有難く「頂く」のが食事だと思います。

080613_105402 日本画で、ドクダミを描いた作品はあまり多くはないように思います。しかし、草木を描く作家が小品で描いた作品は何度も観たことがあります。可憐でありながら凛とした姿のドクダミは、この季節の象徴的な草花だと思います。

080613_105301 最近、知人から”八重のドクダミ”を分けてもらいました。十字に花弁がある一般的なドクダミに比べて、花弁が沢山ついていて、華やかなものです。(右画像)

英国のガーディナーが、「グランドカバーとしてスタープランツ(ドクダミ)は素晴らしいものです」と云っていた記憶があります。雨模様の空の下、白い小さな花をつけたドクダミが一斉に咲いているのを見ると、生命力が漲っていて感動します。

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<きょうのおまけ>

080524_073501_2 花器=盃(弥生時代)

花=バラ(Souvenir de La Malmaison)

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080503_084102 「こんにちは~。蕾(つぼみ)で~す。ワタシね、この間、お腹が痛くってアォ~ンって鳴いたのヨ。そしたらパパとママが大慌てで病院に連れていってくれた。お医者さまは、膀胱炎ですネって。大きな注射と小さな注射をされて、痛かったけれど、もう良くなったワ。膀胱炎って女性に多いンですって。皆さんも気をつけてネ~~。」

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佐伯祐三・早世した才能と浮世の話

美術館を建設する、という事業はさまざまに大変なことで、当初は文化的目的の建造物という観点から、行政の力が必要であるのが常道のようです。行政の力を借りずに美術館を建設できるのは、よほどの財閥でもなければ不可能に近い、というのが通説です。作品の収集、館の建設などは並大抵の資金では出来ません。

大阪市制100年を記念して、設立計画中である大阪市立近代美術館も、館の建設に難航していると聞きます。現在は大阪市役所内に準備室のあるこの美術館は、以前、有名な絵画コレクター・山本発次郎氏が、佐伯祐三等の多数のコレクションを大阪市に寄贈したことがきっかけで計画が始まったようです。しかし、建設地や建設費の問題などで、いまだに緒についていない状態だということです。

0068_5 その大阪市立近代美術館準備室が所蔵する、佐伯祐三の作品を借り出して、5月10日から、横浜のそごう美術館で行なわれているのが『没後80年 鮮烈なる生涯 佐伯祐三展』(~6月22日)です。佐伯の作品80点が展示されているということで観に行きました。

佐伯祐三は、明治31年(1898年)、大阪市生まれ。昭和3年(1928年)にフランスで亡くなっています。大阪の寺の次男として生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科で、藤島武二に師事しました。在学中に同じ学生だった妻、米子さんと結婚しています。米子さんは二科展などにも入選している女流画家でした。

0069_4 佐伯祐三の代表作と呼ばれる作品のほとんどは、フランス・パリで描かれています。最初の渡仏は大正13年(1924年)から約2年。渡仏後健康を害したこともあって、一旦帰国するものの、昭和2年(1927年)に再び夫婦共々フランスに渡り、佐伯は再び日本の土を踏むことはなく、昭和3年(1928年)、結核の悪化と精神面での不安定から、セ0070_2 ーヌのヴィル・エヴラール精神病院で亡くなりました。30年の生涯でした。

フランス滞在中のエピソードは沢山あり、佐伯の作品を見た巨匠ヴラマンクから一喝された話などは有名です。この後、佐伯の画風は一変し、モチーフもパリの街頭風景を描き始めます。一説ではヴラマンクとユトリロの影響を強く受けたということですが、建物が斜めに傾いだような作品群は佐伯の精神を想わせる独特の世界です。

0072 会場で作品を観ながら想ったことは、佐伯没後、帰国した妻の洋画家・米子さん(後年、三岸節子達と女流画家協会を設立。昭和47年に75歳で没)が、佐伯の精神カウンセラーで、支援者である某氏に宛てた書簡に「私は佐伯の作品に加筆していた」ということが書かれているということです。(共同通信社取材)。その手紙には「彼のそのままの絵0073 では誰も買って下さらないので、私が手を入れております。彼もそれを望んでおりました。」と書かれており、加筆の細かい手法まで記されていた、ということです。ということは、佐伯祐三作品の全てとはいわないまでも、多数の作品は佐伯夫妻の合作による、ということになるようです。

しかし、見方によっては、それも良いのではないか、と思うのです。作家の身近な人が作品に加筆したりするのは、画壇としては眉を顰める行為でしょうが、私などのような一般鑑賞者としては、あまり執着するようなことではないような気がします。事実は事実として、そのような制作過程だったのですから、後は認知するしかありませんし、夫婦の合作として鑑賞すれば良いだけのことだと思います。

                     ・

0074_2 先日、資料をチェックしていましたら、1989年11月に行なわれた佐伯祐三の展覧会のチケット(画像右)が見つかりました。会場は今回と同じ横浜・そごう美術館です。展覧会名は『佐伯祐三とエコール・ド・パリの仲間たち展』というものです。そして印刷されている作品は今回と同じ「郵便配達夫」。

この作品は、今回も会場の最後に飾られており、一種特別という感がありますが、趣旨こそ違え、19年前の展覧会と同じ図柄のチケットというのは・・・。それとも今回は意図的に?などと思ってしまいました。

惜しくも早世した作家のエピソードも勿論、おまけに展覧会チケットのことなど、いろいろ考えさせられる展覧会でした。

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<きょうのおまけ>

080522_170601 『陶製茶入れ』(19世紀、ドイツ)

高12cm。

花はBallerina。

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080522_165301 「菫デース。今日なんか暑くて、夏みたいヨ。でもワタシ、元気そうでショ。これから梅雨ってのが来るんだって。どんなンかしらネェ。美味しいのかしら。」

ではまた~。

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バラの季節・其の五

今季の我が家の鉢植えベランダ・バラは、どれもこれも問題のない咲き方をしています。前回に引き続き、開花し始めたバラをご紹介します。

今回の最初は『Mme. Plantier』です。蕾から開花まで随分時間がかかりました。080518_110202             

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次は、『Pierl de Ronsard』。このバラも蕾から開花まで、随分の日数がかかります。これもまだ咲ききってはいません。花輪が重すぎて、項垂れて咲いています。完全開花まではあと数日かかりそうです。

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次は、クラシカルな華やかさでいかにもオールドローズといった風情の『Irene Watts』です。

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080518_110301_2 続いては、『Heritage』。

他のバラよりもゆっくり咲き出しました。

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今回の最後はやっと咲き出した『Ice Berg』です。

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皆さんのお宅のバラは如何ですか?

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<きょうのおまけ>

080510_210501 『インク瓶』(19世紀・イギリス)

高16cm。

花は『Matilda』

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080516_085702 「ワタシィ、ホントにパパのお腹の上が好きで、昼寝はここって決めているの。ワタシの顔の後ろに見えているのがパパの足でェ~す。」

ではまたァ~。

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バラの季節、其の四

我が家のベランダで咲き出したバラ達。今回は初めに、これまでご紹介してきたオールドローズ、イングリッシュローズなどとは違う、モダンローズに分類される『Matilda』をご紹介します。

大輪ですが可憐で艶やかな姿を見ると、人気の高い理由が分かります。Floribunda Rose、1988年にフランスで作られた種類のバラです。

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次はモダンシュラブ(Modern Shrub)のハイブリッドムスク系(HMsk)、『Fericia』です。

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現在、咲き初めたのは、『Santa Monica』です。黄色の大輪です。

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次は『Mme. Plantier』。まだほんの咲き初めといったところです。

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次は、まだ蕾の『Pierl de Ronsard』です。

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今回の最後は、咲き始めた『Ballerina』です。無数の蕾がついています。

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次回は、『Heritage』、『Ice Berg』、また蕾の開いた『Pierl de Ronsard』などをご紹介します。

皆様のお宅のバラは如何ですか?。

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<きょうのおまけ>

080510_151201 『バカラ・ゴブレット』

バカラの初期のものです。鉛の含有量が多く、爪先で弾くと透き通った良い音がします。

高11.5cm。口径7.2cm。

花は『Matilda』。

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080516_085701 「菫で~す。最近ワタシィ、パパのお腹の上でお昼寝することが多いのヨ。アッタカイの。」

ではまた~。

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展示の未熟さはテーマも壊します。

最近、時々訪れているのが、各大学に付属して開設されている博物館、美術館、資料館です。こういった館は全国の国公私立大学で、およそ40施設を超えますが、それぞれ大変立派な施設が設けられています。

0067_2 今回訪れた東京農業大学「食と農」の博物館は、五月のゴールデンウイークだったせいか、子供向けの企画展示だったようでした。この博物館には、隣接してバイオリウムという熱帯植物園もあり、豪華といえるような施設でした。

同館の過去の展示資料などをみると、「屋久島の農業」「環境の歴史から生活を考える」「屋上緑化・壁面緑化」「ワイルドシルク・フェスタ」「紫サツマイモの秘密」「野菜の力、野菜の価値」等々、なかなかにディープな、それでいて「農」というスタンスから環境、生活を史観するというアグレッシヴな姿勢を保っていたと思われますが、今回、2階にあった企画展示は何故か「日本の酒器」?。

一方、1階にある『センサーカメラでみる野生動物の世界』という展示では、野生動物「ヒグマ」「ツキノワグマ」「イノシシ」「仔イノシシ(うり坊)」「針ねずみ」「ネズミ」等々の剥製が展示されていました。私などは、四足で毛がある動物は何でも好きで、それぞれの剥製に触ってみて、生命、体温の無い毛はやはり伝わってくるものが少ない、などと思いながら、それぞれの毛の感触を楽しみました・・・。しかし楽しいのもそれだけで、これらの展示を眺めると、大学の研究成果としては、何ともいまひとつという感じがしました。これだけ立派な博物館を作り、広い展示空間を有しながらこういう展示か・・・と思ってしまったのは事実です。どうしてもまとまりのない展示という印象が残りました。

現代日本の食糧自給率の問題、農業生産に関わる諸問題、収益性の高い農産物、次世代の農業関係者の育成、ユニークな新規農業の在り方等々、沢山の課題を抱えた農業を専とする大学の研究姿勢がリアルに伝わってくる展示ではありませんでした。

こういった施設では、各専門分野の深い洞察や、研究結果などが記されている資料の展示、閲覧、そして研究過程に於いて必要とされた実物資料の展示、という形式になるのが本来ではないかと思われますが、このところ訪れている各大学博物館では実物を展示するだけの形式が多いようで、その研究のバックグラウンドが見えない展示が大半のように思います。そして残念なのは、その実物展示の未熟さです。もともと研究者は展示のプロではないうえに、単純に来館者の嗜好に阿るような形が多いようです。

最近では展示デザイナーという肩書きを持った人達がいて、夫々の持論を展開させたるしていますが、そもそも展示を専らとする人達は、持論など持てるハズがありません。もし、あるとすれば、その都度、研究員、学芸員の研究資料をどれだけ深く読み、理解するか、ということに尽きると思います。そしてそこで欠くべからざるものは、観客への徹底したサービス精神だけだと思います。あざとく云えば「観てもらってナンボ」という精神です。

そういったことから云えば、これまで観てきた各大学の付属展示施設は、そのような考え方に至ってないように思います。それぞれ入館料が無料だったり、低料金なのは大変に良いことですが、展示自体はどこかでも観たようなモノマネ的展示が多く、安直さから免れていません。

これは一般の美術館、博物館にもいえることですが、自画自賛の展示や、観客の視線をないがしろにしたもの、素直には理解できない展示等々が多く、観客がわざわざ足を運び、それなりの入館料を支払う、などという基本概念をどこかに忘れたような展示が多いのは事実です。来場者へのアプローチを忘れた展示は、展示とは言えません。お金が、予算が、ということではなく、どれだけのアイディアと知恵が詰まっているか、が面白い展示といえますし、それが来館者へ研究者の想いを伝える術だと思います。

またこれは付けたりですが、展覧会毎に発行されるパンフレット、展示解説などの資料のほとんどは、一般的に理解の範囲を超える内容が書き綴られているものが多く、中にはほぼ解読不能といった文章も多くあります。難解に?解説を説くだけが解説資料でもありますまいに。

学芸員、研究者は展示の専門家ではありません。展示専門家に任せるべきだ、と思います。展示の未熟さは、研究した全ての作業を壊します。

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<きょうのおまけ>

0011_5 『水瓶』(中国・宋)

高15cm。

一合半はたっぷり入る容量です。

この水瓶にご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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080503_084102_2 「コンニチワ、蕾で~す。このところ暑かったり、寒かったりで、パパも風邪ひいちゃったのヨ。皆さんも気をつけてネェ~。」

ではまた。

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バラの季節、其の参

ここしばらく、例年を上回る、夏のような気温が続く毎日でしたが、これから数日間は気温が下がる、などと予報されています。何か異常気象のような感じがします。しかしこれで、花を長く楽しめるのでは、などという想いもあります。

080509_055001 『Spanish Beauty』は、もう群生といった感じになりました。

080509_055101 『Cook Tail』も同様で、満開といった感じです。

080507_055801 『Irene Watts』はその重さに項垂れているような花萼の大きさです。花の直径は10cm以上です。

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もうすぐ、という気配のバラは

080510_061801 『Fericia』です。

          

080510_061802 そして、少し咲き出した『Mme.Plantier』

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『Pierl de Ronsard』ももうすぐです。

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次回は、『Santa Monica』。蕾が少し脹らんできた『Heritage』。開くにはもう少し、という『Souvnir de la Malmaison』。また無数の蕾をつけている『Ice Berg』。そして『Ballerina』。等々の開花の様子をご紹介しようと思っています。

皆さんのお宅のバラは如何ですか?。

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<きょうのおまけ>

080509_185601_2 『水瓶(中国・宋)』、高15cm。

花=Irene Watts

この水瓶にご興味がお有りの方はコメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071224_074301 071231_144102 「急に気温が低くなると風邪をひくから、皆さん注意してね~。立夏も過ぎたっていうから、アタシ達ももう夏服に替えようと思っていたのよ。アブナイ、アブナイ。」

ではまた。

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バラの季節、其の弐

先日、今年のバラの開花の様子をお知らせしましたが、その後あまりにも次々と咲き始めましたので、少し呆けてしまい、今日になってしまいました。

080503_082802 まるで牡丹のように大きな花をつけた『Spanish Beauty』は本当に沢山の花をつけています。

080507_055801 『Irene Watts』は今年も優雅に花弁を広げ始めました。

080507_055901 『Matilda』も元気で、蕾も数多くつけて、大きな花弁を広げています。

080502_064501_2 『Fericia』は咲き始めです。

いま咲きかけているのは、

080508_170901 『Mme. Plantier』

080508_170902 そして大きな蕾の『Pierr de Ronsard』

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あと数日で開花するのが『Heritage』。

そのあとは『Ballerina』、『Ice Berg』が続きます。

我が家のバラ達は全てベランダ鉢植えですが、今年は陽気が早いせいか、いずれも早くから咲き始めました。四季咲き、一季咲き、Old rose、Engulish rose、それぞれ今が咲き始めです。蕾も沢山ついていてこれからどれくらいの期間を楽しめるか、と思っています。

朝、窓を開けると、数種類の芳香が室内になだれ込んできます。いまは『Cook Tail』、『Spanish Beauty』、『Irene Watts』、『Matilda』、『花霞』などの香りです。そしてこれから次々と・・・です。

皆さんのお宅のバラは、如何ですか?。

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<きょうのおまけ>

080506_210701_3 『藍彩水差し(中国・清)』

高15cm。

花=Cook tail。

この水差しにご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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080503_082301 「立夏って、もう夏になりました、ってことなんですって?。最近暑いのはそのせい?。ねむ~い。」

ではまた。

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バラの季節、其の壱

080502_064401 今年最初に咲き出したバラは『Cook Tail』でした。数え切れないほどの蕾をつけて、四月末に開花しました。これからのシーズン、どれだけの花を咲かせるのか。あたりに独特の甘い香りが漂っています。

080503_082802 そしてゴールデンウイークにさしかかった頃に『Spanish Beauty』が、咲き出しました。花径が約13cm。大きい花です。これも蕾が沢山ついています。香りは抜群です。

080502_064402_2 沢山の蕾をつけ、これからの開花を待っているのが『Irene Watts』、『Fericia』、『Mme. Plantier』、『Pierr de Ronsard』、『Heritage』、『Ballerina』、etc。

オールドローズ、イングリッシュローズ、さまざまです。

あぁ今年もまた、バラのシーズンが来たのだ、と思います。

皆さんのバラは如何ですか?。

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<きょうのおまけ>

Ts380045 『古代ローマの土製ランプ、李朝白磁鶴首瓶』

バラはSpanish Beauty。

このランプと李朝白磁にご興味がお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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080503_082201 「ワタシ、籠猫になっています。でも最近ムシ暑くなってきたので、このベッドが気に入っているの。」

ではまた。

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アール・デコと狛犬

都心や周辺の地域では櫻の季節も過ぎ、このブログもそのあたりのほぼ一ヶ月程お休みしました。お読み頂いている皆様には大変失礼を致しました。

080416_113001 先日、東京都港区白金台にある『東京都庭園美術館』に行ってきました。この美術館はご存知のように、旧宮家の朝香宮(あさかのみや)邸を美術館としたものですが、およそ一万坪の敷地の中にある、国内で現存する唯一といっていいアール・デコ様式の建物です。

朝香宮は、明治39年に久邇宮家朝彦王の第八王子、鳩彦王(やすひこおう)が創設された宮家ですが、戦後、昭和22年に皇籍を離脱されています。この間、鳩彦王はフランスに留学し、当時のフランス芸術に心酔されたようです。そして昭和4年、現在に残る朝香宮邸を建設されました。基本設計は当時の宮内省内匠寮の建築家が担当しましたが、鳩彦王がフランスの装飾デザイナー、アンリ・ルパン氏に、大食堂、大客間、書斎などの主要部屋の内装デザインを依頼したそうです。玄関の大きなガラスレリーフは、ルネ・ラリックの作品という、フランスを代表するアール・デコの作家達が腕をふるった建物です。当時はこの建物に朝香宮家6人の家族が暮らし、20人以上の使用人が常駐していたといいます。宮家が皇籍離脱後、この建物をお気に入りだった当時の外相、吉田茂が公邸として、首相となってからは迎賓館として使いました。その後東京都が買い取り、昭和58年に現在の東京都庭園美術館として生まれ変わりました。また平成5年に東京都有形文化財に指定されています。

鳩彦王がフランス留学中に、義兄の北白川宮成久王夫妻とのドライブで事故を起されて、運転していた成久王は死去。夫人と鳩彦王も重傷を負ったという事件がありました。鳩彦王は看病に駆けつけた允子夫人と共に3年半程の療養生活を送られたことがあり、そういった思い出と共に、この建物を建設されたという話も聞きました。

080416_112801 ところで。この美術館の入り口の両脇には、青銅製の狛犬が居るのです。左の『阿』の狛犬は、丸い籠に入った珠を前足で押さえ、右側の『吽』の狛犬は、仔狛犬を遊ばせて?います。狛犬自体もかなり大きなもので、座った高さは1メートル以上もあります。

アール・デコの建物の入り口に狛犬、というのは、イメージがなかなか面白いので館に伺ったところ、「朝香宮家のどなたか(多分、鳩彦王)が、骨董店で購入し、以080416_112901 前は朝香宮別家に置いていたのだが、その後こちらに移したもの・・・らしい」ということでした。なお「狛犬の製作者や来歴は調査中です」というお話でもありました。

この季節、美術館の周囲は美しい新緑に包まれて、配置されている白い椅子、テーブルには、近所の若い奥様達が子供を連れてきて憩う、という光景を眺めつつ、「なぜ、狛犬???」という謎を考え続けたました。しかし、アール・デコを愛でるような方は、日本の古美術にも興味があるのは当然で、鳩彦王も骨董、古美術店に足繁く通っていらっしゃったのではないか、と想像を逞しくしました。

080416_112902 狛犬の「コワイイ(怖い+カワイイ)」顔は、心和ませるものでした。

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<きょうのおまけ>

Cimg2735_2 『くるみ割り・鉄+柄は木製』

(19世紀、フランス)

長15.3cm。

このくるみ割りにご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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080211_085201 「春になったしィ、サラダの美味しい季節じゃない?。」

ではまた。

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清廉な才能

0059_2 昔風の云い方をすれば、血筋は争えないというのでしょうか、それとも親の天分が子に受け継がれた稀有の例、というのでしょうか、明治の女流画家、上村松園の子息で、日本画家集団・創画会の創始、上村松篁の回顧展覧会を見ました。(横浜・そごう美術館、~3月24日)

上村家の日本画家としての伝統は、母・松園(しょうえん)、子・松篁(しょうこう)、孫・淳之(あつし)と、三代にわたって受け継がれていますが、今回の展覧会は2001年に亡くなった松篁の作品、65点が展示されています。これらの作品は奈良市にある松伯美術館が所蔵しているものです。

母・松園は、気品のある女性を描いた作品に定評があり、女流画家として初めての文化勲章を授賞した日本画家。そして子息の松篁も花鳥画を描き、同賞を授賞した画家でもあります。そして孫で現在、日本芸術院会員で京都芸術大学名誉教授、松伯美術館館長の淳之氏も日本画家。

0058 このように親子三代での日本画家というのは、あまり例のないことなのではないか、と思いますが、このような才能の伝承はどのように受け継がれてきたのか、と思います。父も母も画家、その息子が、孫が、という画家一家というのはよく聞きます。芸術家一家というのでしょうか。下世話なことではありますが、松篁の母、松園は結婚したという事実は無いようで、松篁の父、という存在は、一般的にはつまびらかにされていないようです。母・松園をモデルにしたと云われる、宮尾登美子の小説『序の舞』を読むのが、唯一、そのあたりの想像力を働かせることなのかも知れません。

0061 会場で松篁の花鳥画や童子等の作品を観て、その素晴らしさに改めて感銘を受けました。私は素人目に「上手い」と思う作品は、万人に通用するものだと思っていますが、松篁の作品はそれだと思います。これまでの数ある日本画家の中でも、植物を描く力は群を抜いているのではないかと思います。清楚でありながら豊かな色彩、そして構図の見事さは、衝撃と云えるほどのものでした。これまでも折にふれ松篁の作品は観ているのですが、これほどの作品群は圧巻でした。

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0062_2 さる美術大学の教授が、生徒達に「素人に分かるような絵を描いているようじゃ駄目だ」などという意見を言っているのを聞いたことがありますが、私は(絵の)素人に分からないような絵を描いているうちは、その作家は大成しないのだろうと思います。どれだけ平明な絵を描くかが才能であり、技術は一般的には隠されているという作品が、万人の心を打つ作品なのだろうと思っています。描く技術というものは、画家にとっては当たり前に必要なものであり、それをひけらかすのは、それこそ素人、と思っています。技術だけでは人の心は打てません。

人の情念を描くのが画家の習い、とは思いますが、その作家の思想の高さが、作品の、作家の清廉さを際立たせるものだと思う一方、日本画壇のこれまでを仄聞すると、作家同士、師匠と弟子といった人間関係が複雑で、ドロドロしたものがあるようです。その上にこのような見事な作品が生まれる、という、人間の精神構造の不思議を垣間見た想いの展覧会でした。

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<きょうのおまけ>

Cimg2742_2 『辟邪(へきじゃ)・玉製』(中国・漢)

古代中国で、悪霊を追い払うと信じられた伝説上の神獣。

長6cm、巾3cm。

この辟邪にご興味のお有りの方はコメントメールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070524_174301_4 「ワタシで~ス。蕾(つぼみ)で~ス。春で~ス。みんなも春になったァ~?。」

ではまた。

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立派なコレクションではあるけど、展示が残念!

浅学の徒であれば、聞きかじりのことで皆様にはお許しいただきたいのですが、このブログをお読みいただいている皆様は、キスト、ディナール、ハッルーバ、キーラートなどという言葉をご存知でしょうか?。

これらは紀元600年~1500年頃にかけてのエジプトの人達が使っていた、様々な重量単位、貨幣単位などの名前です。

0055 重量などを規定する度量衡というものは、その時代の生活を知るのに欠かせない生活単位として、歴史学や生活史を辿るのに不可欠な要素でもあるのですが、今回、横浜の中区にある横浜ユーラシア文化館で催されている『エジプトの小さなガラスの円盤~中世イスラーム都市のくらし~』という展覧会(~5月18日)で、このような様々な古代の単位を知る貴重な機会を得ました。

0057 この展覧会は大まかにいえば、古代エジプトのスーク(市場)で使われていた、液体などの量を測るためのガラス製計量枡などに付けられた、その瓶の容量などを示すガラスの丸い印刻(グラス・ウエイト)の収集品、つまり本体の計量瓶、計量枡などから剥がされた、容量・単位を示す小さなガラスの円盤を展示したもので、地味でディープなコレクションですが、それぞれのガラスの色や形状、そしてその単位を利用しながら生活していた、当時のエジプトの人達の生活を彷彿とさせる、極めて滋味深いものでした。

現在でも時代もので高級なワインや、洋酒などの瓶にエンブレム(紋章)のようなガラスの丸い刻印が付いているものがありますが、現在は内容量などを示すものではなくて、威厳を示すために成されているようです。しかし、古代エジプトのイスラーム社会では、瓶の内容量、または貨幣の単位などを示すために、ガラスを溶かし、内容、価値、重さの証明として瓶や計量枡に鉄の刻印棒で押し付け、その容器の証明としたようです。(ヴェセル・スタンプというそうです)また、コインの証明であるコイン・ウエイトと呼ばれる刻印などもあり、それらの刻印のガラスの小さな円盤を収集したものが、今回の展示です。

0053_2 展示を観ると、前述したように当時の様々な重量の単位ばかりでなく、貨幣の単位、名称などが分かりますが、天邪鬼の私は、コレクターがこのディープな蒐集のためにどれだけの時間と金額を必要としたのか、などと下世話なことを考えてしまいました。蒐集したさまざまな瓶や、ガラス片などは無数であったと思われ、それらの中から、単位が明確なものや、希少なもの、また歴史的に重要な意味を持つものなどを選別し、系統的で学術的な裏付けをするのに、どれだけの時間と情熱が費やされたのかを考えると、その地道な努力に頭が下がる思いがすると同時に、素晴らしい時間の使い方だ、などと考えてしまいます。

0054 このようなコレクションを蒐集するためには、エジプトに於ける中世イスラーム世界の仕組みや、生活、またその刻印に記された文字の読み解き、そして、その度量衡や貨幣の単位が人びとの生活にどれだけの影響、恩恵をもたらしていたか、などの、いわば中世イスラームの生活史を勉強しなくてはならず、一般的な興味だけでのコレクションではなく、紀元後のエジプト史といった裏付けも必要となり、小さなガラスの円盤といった可愛い外見とは裏腹に驚くべき学術的コレクションといっていいと思います。

0056 勿論、門外漢の私などには、この小さな円盤の刻印のアラビア文字やコプト数字、マークなどの内容などは読めないうえに、その詳細は知りえないことではありますが、これらヴェセル・スタンプの他に展示されている当時のさまざまな計量器や、生活用具などを観ても、古代エジプト・イスラーム文化の質の高さ、文化度に感嘆しました。

久しぶりにディープな内容の展示を観て、己の浅学、不勉強が恥ずかしくなりました。但し、恥かしく思ったのは展示物の詳細を知り得なかったことであって、展示の演出は、通り一遍で、正直いって詰まらないものでした。もっと入館者に生々しく訴えかける展示ができたはずなのに、という残念な想いが残りました。また、各展示物の説明文が不親切であったのも、展示担当者の思いの浅さを感じました。

いずれの美術館、博物館などに云えることですが、展示物の展示演出方法は、もう担当学芸員等のセンスの領域ではないことを、展示する側はもっと知るべきだと思います。展示資料を整えるのは企画と共に学芸員の仕事であると思いますが、その資料を展示するのは展示のセンスを持った専門員の領域、ということです。

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<きょうのおまけ>

0013 『土製オイルランプ』(古代ローマ時代)

長10・7cm、幅7cm。

このランプにご興味がお有りの方はメール&コメントをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071207_073901 「もう、虫サンが動き出したンですって?。啓蟄っていうの?。虫サンは食べたいほど可愛いワよネエ?。」

ではまた。

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無理な取り合わせ。

美術作品を展示する処は、ある意味、異空間といえます。ヨーロッパなどの財閥コレクター達が、壁一面に絵画コレクションを展示し、「○○の部屋」などとしてあるのは、いわば異空間を現出させるという意味があったようです。現代のようにリビングにお気に入りの絵を飾り、生活を楽しむ、というわけではなさそうです。こういったことで思い出すのは、女優の東山千栄子さんが生前、自宅の壁に、ドガの「踊り子(複製)」を飾り、その前で”お鰻(うな)”を食べるのを至福の喜びとしていた、といいます。東山さんの人柄が偲ばれるエピソードです。鰻重とドガの絵、という取り合わせを生活の中で楽しむセンスはなかなかのものだと思います。

0043_2 そして取り合わせ、という話です。取り合わせに無理のある企画展だな、と思ったのが現在、東京・渋谷BUNKAMURA ザ・ミュージアムで開催されている『ルノアール+ルノアール展』(~5月6日)です。

父である印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールと、その息子で映画監督のジャン・ルノワールの、いわば息子が父から受けた影響、例えば父の絵画作品の構成を、息子が映画画面に投影させている・・・、という展示説明ではあるのですが、会場を観たかぎりでは、何とも付けたりの理由にしか思えないのです。

0051 根本的に表現方法が違う、絵画と映画の構成を、ここのカットは父の作品の影響で、などと云ってみても「フ~ン。親子なんだから、親の作品を観ていればそういうコトはあるんじゃないの?」という感想しか湧きません。

0052 たしかに息子であるジャンの映画作品は『ピクニック』、『河』、『フレンチ・カンカン』、『獣人』、『十字路の夜』など名画というに相応しいものが多く、映画史を変えたといわれるほどの作品を創ったのは事実です。しかし映画作品のカットと、印象派の画家である父、ピエール=オーギュスト・ルノワールの作品との共通性を比較して、どうなるものだろう?と思います。さる批評でも”近くて遠い二つのメディアの比較まで安易に持ち込み、無理が生じた”ということが述べられていましたが、その通りの展示ではないかと感じました。

また、会場の設営がどうにも落ち着かないもので、天井から下がった映像投影画面と、壁面の絵画との折り合いの悪さには、正直言ってイライラさせられました。展覧会というより安手のテーマパークというような、展示演出のお粗末さが目だってしまった感じでした。

こんな割り切れない展覧会は多分初めてか・・・などと思いながら渋谷の街を歩きました。

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<きょうのおまけ>

Cimg2728 『インク瓶』(イギリス・19世紀)

高16cm、口径3.4cm、底径6.5cm。

この瓶にご興味のある方は、メール&コメント等をお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

yoshida art

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080306_104301_3 「眠いのヨ~~。春だから~~~?。」

ではまた。

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食の貧しさ、食の豊かさ

最近のテレビや雑誌に溢れる、食べ物、料理等についての情報について、「日本人はいつから、こんなに食いしん坊になったのか」と慨嘆されている方がいらっしゃいましたが、私などは、衣・食・住という、人間にとって重要な事柄についての情報が、それ程蔑むべきでもないと思います。毎朝の新聞の折込み広告を見ても、本紙よりも分厚いほどの、快適なマンション、一戸建て、季節の衣類、ファッション、食材の安売り、料理店の誘いなど沢山の広告情報で溢れています。前述の悲憤慷慨されている方は、食べ物よりも天下国家の問題を注視すべきだというのかも知れませんが、人間、生きている間の重要問題としては、まず衣・食・住ということが基本だと思います。

ただテレビなどで、年端もいかぬ若い娘さんが、あちこちの店の料理を食べ歩き「オイシイ~」の連発をしているのはどうかと思います。まだ舌も成熟してない年頃の女性が、料理をどの程度味わう能力があるのか、と疑問に思うのです。それなりの年齢の方にリポートしてもらえれば、味も信用もできるというものですが。

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0041_2 日本では江戸時代から、ものの味を知っている美食家を「料理通」と言ったりしていました。後年、明治時代に当時、ベストセラーとなった『食道楽(しょくどうらく)』という著書を著した村井弦斎は、それまでの美食家とは違い、食生活の見直しや、合理化を目指した人です。この本は物語の形式を採った和・洋・中華料理、凡そ600以上のレシピと、「食育」という概念を提唱しているもので、その後の料理研究家達のバイブルともいえるものです。その弦斎の遺品や草稿などを展示した企画展が、横浜市中区の神奈川県立近代文学館で催されていました。

村井弦斎は沢山の著書を残しましたが、死後子供達が著書や資料などを、神奈川県立近代文学館に寄贈しました。今回催されている『収蔵コレクション展~食道楽の人 村井弦斎~』(~2月28日)は弦斎の思想を辿る、興味深いものでした。

0044_2 これらの資料を初めて近代文学館に寄贈したのは、弦斎の長女で登山家、随筆家の村井米子さんで、私は山好きのせいで、日本の女流登山家の草分け的存在である米子さんにも以前から興味がありました。彼女は、大学卒業後、日本放送教会(NHK)に勤務され、日本がアメリカと開戦したときのラジオ放送について、当時の詳しい記録も残しています。しかし私は、米子さんが大学時代、武州・御嶽山で生食生活実験のために一人で越冬した話や、日本の女性では初めて北アルプスの槍が岳から奥穂高岳まで縦走したという記録、また彼女の著書「山の明け暮れ」「山愛の記」「マタギ食伝」などが印象に残っています。

0042_2 父親の弦斎は、文久3年(1863年)生まれ。東京外国語学校などで学び、若い頃から雑誌、新聞などに筆を揮い、40歳の時に『食道楽』を著しました。住居も東京から神奈川県大磯、小田原と移り、後に平塚市で過ごしました。(没1927年)

著書『食道楽』は、春夏秋冬に分けて構成されており、載せられている季節毎の膨大な料理レシピや、発想の奇抜さなどから、一時期、奇書という概念で捉えられていましたが、後年、弦斎の婦人啓蒙・衛生・健康に関する考え方が再認識され、一昔前のご婦人達は娘の嫁入り道具として持たせたという本でもあります。

会場には、1903年に報知新聞に連載された『食道楽』の草稿も展示されており、食に対する飽くなき興味と、食が及ぼす人格形成といった問題まで追求し、現代注目されている食育といった、新しい価値観を生み出した弦斎の思想も窺えます。

0047_2 0050 今回の収蔵展で興味深かったのは、館に付属している閲覧室に、味覚がテーマとなった小説や、随筆が展示されていたことでした。例えば、国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」、芥川龍之介「芋粥」、稲垣足穂「チョコレート」、有島武郎「一房の葡萄」、高村光太郎「レモン哀歌」、太宰治「桜桃」、澁澤龍彦「華やかな食物誌」、幸田文「台所のおと」等々。

現代でも若い作家達が、食べ物についての文を著していますが、明治、大正、昭和の文豪達も、食、料理などについてはただならぬ興味を持って作品にしており、人間の食に関する興味は、根源的なことなのだと思わせます。以前、文章で味覚を書き現せれば、作家として一流だという評を読んだ記憶がありますが、人間の五感を文章にするのは、かなりの文章修行をしなければならないということでしょう。

今回の展示を見て、収蔵品展示とはいえ企画はなかなか面白いのですが、相変わらずの展示方法で、がっかりしたのは否めません。食、料理といった身近かなテーマでありながら、館側が云うビジュアルな展示にはなっていないと思いました。弦斎の思想は人の生活に密着しているもののはずなのですが、会場を訪れる人達の五感に訴えるような展示になっていない、と感じました。もっと観客の胃袋を刺激し、ひいては食に関する弦斎の思想まで表現、伝達できたはず、と思うのです。限られたスペース、予算という問題ではなく、展示側の柔らかい発想が必要なのではないかと思います。

しかし、食生活の改善を提唱した先達の業績の再発見という意味でも、一見の価値はある企画ではあります。

                    ・

このところ新聞、テレビ等で中国製餃子などの、食材の安全問題が大きく取り上げられています。一方では日本の食糧自給率の問題は恐ろしいほどの深刻な問題だと思います。日本はいつからこれ程の低い食料自給率になってしまったのか、と思います。四里四方などという言葉はいまや死語になっているようです。そんな環境ながら、いつまでも外交下手というのは、これまでの国の方針がいい加減だった、としか思えません。

今回の村井弦斎の展示を見て、さまざまな料理の味を思い浮かべながら館を出ましたが、そんなふうに能天気には楽しめない困難な日本の食の現実があり、日本という国も寒貧とした国になったものだと、小雪舞う、港の見える丘公園を歩きながら想いました。

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<きょうのおまけ>

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『匙・銅製』(中国、清時代)

右匙、長9.5cm。左匙、長9.8cm。

この匙にご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

yoshida art

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Cimg2708_2 「雪も降るし、毎日寒いわよネェ。皆さん風邪ひかないでネェ。」

ではまた。

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個展巡り・其の四

今回も個展巡り。其の四です。

絵画などの平面の作品は、作品全体から受ける印象で納得する場合と、作品に近づいてよくよく目をこらさなければならない場合とがありますが、今回見た個展『中岡真珠美ー白い眺めー』は、その両方で楽しめる作品展でもありました。(銀座INAXギャラリー2、~1月29日)

0033 作家の中岡真珠美(なかおか ますみ)さんは、京都出身で京都市立芸術大学美術科卒の若い方ですが、これまで個展、グループ展なども数多く、受賞歴も沢山ある若手作家です。

キャンバスに油彩、アクリル絵の具、樹脂塗料などで心に沁みるような色彩の作品が多いのですが、よく見ると画面が微妙に凸凹だったりしています。ことに白の部分はそういったことが多いのです。しかし違和感はありません。解説を読むと、白の部分はジェッソやモデリングペーストを加えて、削ったり磨いたりして”彼女の白”を作っているとのこと。作家の出身地と作品との関連は無いとは思いますが、何かはんなりと落ち着いた、京都の白、という感じがするのは、当方の勝手な思い入れというものでしょうか。

0036 全体に柔らかな色合いの作品が多く、抽象画にありがちな居丈高な感じがありません。こういう作品は、一枚くらい家に飾ってもいいかナ、と思います。色彩といい、構成といい何の問題もないようです。

といって、落ち着いているだけの作品ではありません。大胆ともいえる構図でありながら緩やかな曲線で描かれたモチーフの確かさに舌を巻きました。そして何よりも、彼女の白、は見る人を引き込む余白といえます。0035 これは写真などでは分からない、やはり本物を見なければ分からないものです。心安まりながらも、次第に捉えられていくような作品群を見ながら、並々ならぬ力を内在している作家だと思いました。

今後の期待としては、もっと関東地域で頻繁に作品を見たいということです。履歴をみても関東地域では作品展示の機会がまだ少ないのです。作家の出身が関西でもあるので致し方がないのかもしれませんが・・・。よくある仲間内作家にならず、全国区を目指してもらいたいと思います。期待したい若手作家の一人です。

静謐で美しく、力のある個展でした。

最後にひとつ。勝手な言い分ですが、こういった作品にあまり解説は不要なのではないか、と思います。理論武装はこの作家の感性に似合わないような気がします。

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<きょうのおまけ>

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『子牛・玉』(中国、漢時代のお守り)

長4.0cm、高3.0cm。

ブタのように見えますが、牛です。胴体に穴が開いていて、細紐などで下げることもできます。

この子牛にご興味のお有りの方はコメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071028_062201 「おなかがすいたから、ゴハンちょうだいって言ったとたんに写真撮られちゃった。ゴハンまだァ?~~~。」

ではまた。

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個展巡り・其の参

個展巡り、其の参です。

080116_122401_2 今日の個展の紹介は、銀座8丁目にあるSHISEIDO GALLERYで2月3日まで行われている、『窪田美樹展』DESYADOWED~かげとり~という展覧会です。

この展覧会は、新進アーティストの支援として、資生堂が行っているメセナの公募展、shiseido art egg、に応募した357人のうち、入選者3人の作品を順次公開するもので、その第一回目が窪田さん、というわけです。(~2月3日)

0032 展示されていた数点の作品は、椅子やキャビネットなどの木製家具を切断したうえに、その断面を研磨したものや、ビニールシートを使った作品などで、作品の質感や、色彩はなかなかに面白いものでした。こういった作品が自宅の壁面にあっても楽しいのではないか、と思わせる作品もありました。既製品を現代彫刻への変身させる、ひとつの考え方として興味深いものでした。

しかし・・・。率直に言って、理屈の多い作品ではあります。今回の公募展の審査員評などは、まるで難解文学を読んでいるようです。

評「物体とイメージをめぐる真摯な問いかけを、より広がりのある彫刻と絵画の差異にまで象徴的に昇華する。(中略)自らの表現の根底に投げかけるまなざしは、ラディカルであると同時に美しい」????。

また、作家のWebサイトでの言として「埋めるというアイディアから作品が生まれ・・・、家具を擬人化し、間を埋めて塊にする・・・」

作品に対する作家のイメージを文字で表現することは、時として困難なものであることは理解できますが、これほどまで読む人に深い思慮や考察を求める説明は必要がないのではないか、と思うのです。作品を鑑賞するのに、それ程の理解をしてもらわなければ作品を分かってもらえない、というのであれば、その作品は観る人にとって相当に遠いものになるのだろう、とも思います。

現代アートと呼ばれる作品には、概して理屈や、説明を要するものが多いのですが、そういったアプローチをしないと、見る側に分かってもらえないのは、作家の力量の問題といえるのではないか、と思うのです。

今回の作品を偏見を持たずに観れば、家具を使った斬新な表現として、暖かく、なかなか楽しい作品群ではあるのですが、作家や評論家が、あまりにも小難しい表現を用いると、作品が浅いものに見えてくるということになります。楽しい個展だった、という印象があるだけに、残念なことです。

                   ・

最後に・・・。ギャラリーに置いてある展示物紹介ペーパーの不親切さには驚きました。また、いつも思うのですが、ギャラリーのスタッフの無愛想さは、なんとかならないものかと思います。ツンとお高くしているのがワタシ達の仕事と勘違いしているようです。デパートのようにむやみに来場者にスリ寄ってくるようなスタッフも困りますが。

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 <きょうのおまけ>

Cimg2735 『くるみ割り』(19世紀・仏)

くるみを割る部分は鉄、柄は木製です。

長15cm。

このくるみ割りにご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

yoshida art

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070706_215601 「アタシ、寒いと思わず走り回ってしまうのヨ。なぜだと思う?。」

ではまた。

 

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個展巡り・其の弐

今回は、個展巡りの其の弐。

銀座四丁目にあるギャラリー・オカベで、今月26日まで催されている『神林 學(かんばやし がく)展』ワイヤーマン・シリーズ、を見ました。

神林さんは、1946年生れの彫刻家。いわば団塊の世代のはしりといっていい年齢です。粘土などを使っての造型も作るようですが、今回展示されている”十二神将”は、全てワイヤーで造られています。サブタイトルにあ0031 るようにワイヤー・マンというわけです。薬師如来と薬師経を信仰する者を守護する十二の武神を、神林流に現代的アレンジを施した立体造型です。高さは全てがおよそ、30cm程度で、1mほどの細く高い台座の上に配置され、細長いギャラリーの中央に一列に展示されていました。

全て、ワイヤーで造型された十二神将、という今回の展示アイディアが面白く、見入ってしまいました。

十二神将の現代版である,ワイヤーで造られた『宮毘羅(くびら)大将』、『伐折羅(ばさら)大将』、『迷企羅(めきら)大将』、『安底羅(あんてら)大将』、『頞儞羅(あじら)大将』、『柵低羅(さんてら)大将』、『因達羅(いんだら)大将』、『波夷羅(はいら)大将』、『摩虎羅(まこら)大将』、『真達羅(しんだら)大将』、『招杜羅(し0030 0026_2 ゃとら)大将』、『毘羯羅(びから)大将』が、それぞれの姿勢(ポーズ)で、立ち並んでいる姿は、神像という概念を離れて、作者の削ぎ落とした現代性や、ストイックな感性がよく伝わってきました。小作品ながら精神性の高い作品群だと思いました。

神林さんはこれからますます研ぎ澄ました作品が見られそうで、注目したい作家の一人でもありますが、既に手練れ(てだれ)、という感じもする作家です。

0029 (この作家は、他にも様々な小さな造型も製作しているようで、小田原にある”菜の花”という菓子店舗の二階などでも時折展示しているようです。)

               ・

最後にひとつ。ギャラリーに展示されていた作品の中で、壁にワイヤー状のもので取り付けられ、宙に浮いていた作品は・・・、作家の好みかどうかは分かりませんが、もう少し展示の工夫をしたほうが良いのでは、と思いました。

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<きょうのおまけ>

Cimg2753 『匙・銅製』

(中国・清時代のスプーンです。)

長14.2cm。

この匙にご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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「今回は、ワタシ。蕾でェ~す。自前の暖かいショールをつけているけど、決して先日の成人式の娘さんタチと同じ格好だと思わないでネッ。」

ではまた。

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個展巡り・其の壱

このところギャラリー巡りをしています。新しい作品の出会いを楽しみに、片っ端からギャラリーを覗くことにしています。そんな中で、心に留まった個展を紹介したいと思います。紹介とは云っても、あくまでも私のチャンネルに合った作品、作風ということで、極めて手前勝手な感想、ということになりますが、今回は、其の壱。

                     ・

071016_125501_2 私が好きなギャラリーは沢山ありますが、東京・京橋のINAX GALLERYもそのひとつです。このギャラリーは生活陶器のメーカーINAXが、メセナで造ったギャラリーですが、書店、商品展示フロアも含め、生活への新しい提案、というコンセプトが伝わってくるようなビルです。中に三つのギャラリーがあり、今回その中ひとつ、INAXガレリアセラミカ、というギャラリーで行われていたのが、『服部真紀子展~土の表情 フリルの陶』という個展でした。(~2月2日)

作者の服部さんは、愛知教育大学大学院美術科に在学中で、これまで公募展、個展などで高い評価を得ている作家です。

0037 今回の展示作品は差し渡し6~70cmもあろうかという、焼き物にしては大型の作品のほかにもっと小型の作品なども展示されていました。フリル(襞)の陶、というだけに、作品全体が細かいフリルで造型された、まことにふくよかな感じを受ける作品が多く、陶土を硬く焼いた、という陶器のイメージを一掃するような、極めてソフトな印象があります。作品は硬い陶器ですが、触ると手が埋まってしまいそうな感じです。

0040_2 これらの作品の細かいフリルを付けていく作業は、大変な時間と根気が必要なのだと思います。作家インタビューによれば、ひとつの作品を造るのはに一ヶ月以上の時間がかかる、とのことで、柔らかさ、優しさなどの表現のために、黙々と一月以上もフリルを付け続ける作家の直向さが感じられました。

0038_2 硬い陶器が暖かく柔らかい雰囲気を醸し出すのは、勿論テクニックもありますが、既成イメージの転換、そしてこの作家の”女性”がこのような発想をそうさせたのではないか、と思います。

素直に心に届く作品群でした。新しい陶の可能性を探るこの作家に、今後注目していこうと思います。

イジワルをひとつ。「これだけフリルが多いと、作品の掃除は大変ですナァ。やはり掃除機ブラシでやる・・・ンでしょうか?。」こういう作品は家庭にも飾りたいもので・・・。

最後にもうひとつ。ギャラリーの展示もメリハリが利いて、美しい緊張感があるのですから、受付のオネエサンも、もう少し生き生きしていて欲しいですナァ。

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<きょうのおまけ>

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『陶硯』(中国・宋時代の陶製のすずり、です。)

径9.1cm、高2.8cm。

この陶硯にご興味のお有りの方はコメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070831_111701 「皆さ~~ん菫でェ~す。寒いから暖かくしてお寝み下さいネェ~。」

ではまた。

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心痛むバラと、精神が疲れる中世画

080105_123501 もののあはれ、を想うものではありませんが、この寒い季節に健気に咲いているバラ(オールドローズ、イレーネ・ワッツ)の、一輪だけが些か不恰好な具合に咲いてしまいました。ほかの花は五体満足?に咲いているのに、と思うと何か可愛そうな気がして画像を載せました。この季節にもそれぞれの花を付けている中で、何故これだけが、と思います。不幸な巡りあわせと云ってしまえば、そうなのでしょうが、不憫な一輪です。

                       ・

0078_3 バラといえば、いま横浜のそごう美術館で開催されている『プラハ国立美術館展』(~23日)に展示されている、0071_3 16~17世紀のフランドル絵画の画家、ブリューゲルの子の、ヤン・ブリューゲルが描いた「磁器の花瓶に生けた花」にも、オールドローズが描かれていました。時代からみてもオールドローズであるのは当然なのですが、私は名前まで分かるほどのバラ巧者ではありません。

この展覧会は昨年から今年にかけて国内数箇所で開催される巡回展で、農民の日常生活を数多く絵にしたブリューゲル一族と、ヨーロッパ各国の王侯貴族から絵の注文が殺到したという人気画家ルーベンスの、宗教画、風俗画、静物画など70点が展示されています。

0076_2 フランドル絵画のフランドル(仏語)とは地域名で、日本では一般的に英語形の「フランダース」ということになります。歴史的には様々に変化しますが、地域的にはオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域で、旧フランドル伯爵の領地であった地域を指します。中世には毛織物などでの商業、経済が発展し、ヨーロッパの先進的地域として発展した地域です。

0077 そんな地域で発展したフランドル絵画(ネーデルランド絵画とも呼びます)は、15世紀の画家、ファン・エイク兄弟が油彩画の技法を確立し、その後のバロック期にかけてルーベンスなどが活躍して黄金期を形成しました。

0073 今回の展示は、なかなか難しい約束事?があり、絵画のキャプションカードに「帰属」とか「工房」という但書きがついています。凡その解説では「帰属」とは、作家は・・・と思われる、で「工房」は、例えばブリューゲル一族の工房で、ブリューゲル本人の指示で弟子達によって制作された作品、ということになります。決して本人が全てを描いたということではないのです。

0072 しかし、もっと難しいのは宗教画です。これは「旧約聖書などの一場面?を描いてくれ」と、貴族などから頼まれて描いたものが多いのですが、当然のことながら聖書に則って描かれているわけで、描かれているひとつひとつのモチーフが暗喩、比喩、教訓といった意味を持っている、というわけで、現代の作家達の作品のように、こちらの勝手な感覚で作品鑑賞できる、というわけにはいきません。宗教画と考えるよりも、いっそイコンなどのような観方をしたほうが良いのではないかと思います。

今回の展覧会場では音声解説システムも導入されていましたが、それにしても中世美術史や鑑賞学の先生にでも解説してもらわなければ、なかなか作品内容を把握できるものではありません。風俗画などは時代を感じたりできるのですが、宗教画に至っては私のような浅薄な知識では太刀打ちできません。一枚の画で、数時間の講座が必要な感じです。

0074 作品自体は、後世の有名作家達の作品に比べ、技法的には平板的ですし、静物画などは、フランドル絵画表現の特徴を現してはいるのでしょうが、奥行きの足りない作品に見えて、それほど胸を打つものではありませんでした。しかしこれらの作品が後のイタリア絵画に与えた影響は大きいもので、いわば近代絵画の礎を作ったということは理解できたような気がします。

                     ・

旧約聖書も読んだことはありますが、全てのシーンを覚えているわけでもなく、とにかく「読む絵画」は・・・・・疲れます。会場にいた女性監視員が、立ったまま居眠りをしている気持ちが(今日だけは)分かるような気がしました。

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<きょうのおまけ>

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『インク瓶』(19世紀・イギリス)

高6.5cm、胴径3.7cm。

このインク瓶にご興味がお有りの方はコメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

yoshida art

                    ・

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070810_141401 「新春にモノ思う・・・・こともあるのヨ。」

ではまた。

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新春のミュージアムショップ

080103_121301_3 0070_2 新年は沢山の美術館、博物館が正月企画の展覧会を行なっておりますが、その中でも賑々しく派手やかだったのが、東京・上野の東京国立博物館で催されている『博物館に初もうで』という展覧会で、特別展の「宮廷の雅び~近衛家1000年の名宝」をはじめ、正月に因んだ複数の展示が行われていました。(~27日)

080103_135801 館の中の正面階段上に池坊の生け花が配置され、館の前からは賑やかな江戸囃子も聞こえて、正月気分が溢れていました。

そういった館内を巡りながら、博物館という文化展示施設の精神的な姿勢、というものを考えていました。今回は正月ということもあって、新春を寿ぐ日本人の根っこともいうべきものの表現、ということになっていますが、日本の歴史の中で、新年の寿ぎの表現は、その時代、地域等によって随分違うため、現代にも通用するような設定にするには学芸員の方も苦労するのだろうと思います。平安時代の公家達の新春飾り、室町時代の、安土桃山の頃の正月飾り、はたまた殿上人の、庶民の寿ぎの形は?などと考えているうちに、この館の今回の視点が見えてくるような気がしました。

                     ・

帰りがけに、本館地下にあるミュージアムショップに立ち寄りました。このミュージアムショップは1990年にオープンし、昨年7月にリニューアルしたそうですが、四年前に行われた本館の常設展示変更と連動した形での、「和」の空間となっています。このところ各美術館、博物館はミュージアムショップに力を注いでおり、その例に洩れず、この博物館もスーヴェニア商品、関係出版物から宝飾品まで、沢山の商品が並んでいます。

しかし、このショップの商品を見ていて感じたのは、他の美術館などのショップに比べると、商品に洒落っ気、ヒネリが足りないというか、もっと端的に言えば、思わず手にとってみたくなるような面白い商品が少ない、ということです。ことにスーヴェニア商品にはこういった精神が足りないと思いました。他の博物館等は、ショップ自体を選定業者に任せているところもありますが、ここはどうなのでしょう?。

一般の入館者は、入館の記念になるようなちょっとした小物、安価な記念品といったお土産になるものが欲しい、と思いがちですが、そういった類いの小物を見ても何かコクの足りないデザインのものが多く、気を引きません。ショップ全体の配置は見通しも利いて、なかなか良い具合になっているのですが、商品はまだまだ、という感じがします。080103_122001 常設展示物のミニアチュールを作るの080103_122201 は権利の問題など多々あるのでしょうが、例えば今回の常設展示にあった仁王像とか、千手観音像などの小さな置物のようなものがあれば、お正月という時期もあって、家にお供えしておけるのになぁ、などと考えてしまいました。

いずこのミュージアムショップも商品開発には知恵を絞っているのでしょうが、思わず手が出るような決定的な商品にはまだお目にかかっていません。あそこのショップのアレが欲しい、と思わせるようなステキな商品を見せてもらいたいものだと思っています。

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<きょうのおまけ>

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『火箸』(鎌倉時代、長23.5cm)

この火箸にご興味のお有りの方はメール&コメントをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070810_142301_2 「ネェ、ネェ、お正月っていつまで?。ネズミにはまだ会っていないンだけど・・・・。」

・・・・・ではまた。

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今年こそは頑張ってくれ!。

明けましておめでとうございます。皆様におかれましては佳いお年をお迎えのことと存じます。

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私、元旦は横浜市の鶴見にあります曹洞宗・総持寺に初詣に行ってきました。例年通り、あまり混雑もしていなくて、緑が多く広い境内を歩き、ゆっくり参拝を致しました。総持寺をお参りする度に感じるのは、僧達が磨き上げた廊下の黒光りした美しさです。また各建物の静謐さ、建物内部の端正さは、世情の汚濁をそぎ落としたような世界で、思わず襟を正したくなる感じです。

勿論、総持寺も他の寺社同様、大学の経営や、カルチャースクール経営などの事業経営も手広く行う、一大事業展開寺社ではあるのですが、そこは道元開祖の禅宗のこと、寺の在り方に何か高々とした精神性が感じられます。私達参拝客は、そういった寺社経営の裏側などは預かり知らないこととして、お賽銭をあげ、お気楽に今年の安寧を願うことになります。

一方神社関係は、昨年暮れにお札等も頂いてきて、大晦日に自宅の神棚のお札を取替えて新年を迎えました。新年の有名神社は参詣客が多くて、ここしばらく敬遠しています。

神社といえば、年末に自宅の神棚の大掃除をし、これまでに求めて奉ってあるお札等を整理しました。神棚には天照大神、皇大神宮など複数のお札を奉っているのですが、その時に、それぞれのお札に向かって、「私としては一応、月に二回、米、塩、お水をお供えしており、年末にはお鏡餅も供えている。その理由はアンタ達は充分に分かっているハズだよナ?。今年はあまりご利益が無い一年だったと思うが、その点をアンタ達はどう考えているノ?。来年もあまりご利益が無いと、私としてはアンタ達に檄をトばさなければならなくなるヨ。」と叱咤激励したところ、神様達も「ウン、まあ分かった。」ということだったので、今年は多分佳い年になるのではないか、と思っております。

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ともあれ、今年も各所の美術館、博物館、ギャラリーなどを巡ることになると思います。勝手な駄文にお付合い頂ければ幸甚です。

皆様の今年のご多幸をお祈り致します。

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<お正月のおまけ>

Cimg2755 『中国・清朝の灯火器』

釣り具から脚部まで34cm。

鉄製。

この灯火器にご興味がお有りの方は、メール&コメント等お寄せ下さい。詳しいご説明をさせていただきます。

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071231_144102 「明けましておめでとうございます。私達姉妹も、今年こそはと・・・・・・。佳い年になりますよーに。」

「今年って子年ですってねェ。ネズミって食べちゃいたいほど可愛いから好き~~~。」

ではまた。

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今年の心、来年の心

071216_101601_2 今年もまもなく過ぎていきます。年の初めには新聞などで「猪突猛進」とか勢いの良い言葉が見られましたが、年末になると「亥年は荒れる年」などと云われるようになりました。酷暑などの異常気象ばかりでなく、政治や社会全体の出来事で異常なことがあり過ぎたせいでしょう。しかし、そういう統計をとっている人達は、そういった予想を年明けに言って欲しいもので、そうすれば心構えが違っていただろうに、などと勝手なことを考えています。

(画像=12月の寒風にも負けずに、大晦日にも咲き続けるイレーネ・ワッツ。バラの年越し?。)

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今年も各所の美術館、博物館、美術の催し物などに出かけました。このblogに書いた所以外にも沢山の展覧会を観ました。小さなギャラリーの催しなども含めると、100箇所以上の展覧会に行きました。稚拙なものもあり、息を飲むような見事な展示もありました。

私は展覧会の作品もさることながら、展示方法、形式などに興味があり、そういったことを見て各施設の学芸員、キュレーター達の感性を感じたいと思っています。そんな視点から今年の各館の展示を振り返ると、一言で言えば「展示スタッフの心のパワー不足」が気になりました。私が行った施設は概ね関東地域が多く、決して国内全体を捉えたものではありません。いわば地域限定での手前勝手な感想です。

そういった地域限定でいえば、各館の運営スタッフのパワーが感じられない展示が多かった、という印象が拭えません。それぞれ展示されている作品などは素晴らしいものも多いのですが、小さなことでは宣伝用パンフレットなどのコピー文がありきたりだったり、反対に難解な美術解説書まがいの文章だったりして、企画の想いが伝わってこないものが多かったと思います。また展示についても、会場の展示設定が来館者の気持ちをあまり考えないものになっていて、スタッフの意味の無い押し付け展示のような所もありました。また、スタッフの「いらっしゃいませ。来館していただいて有難うございます」という気持ちが感じられない接遇態度だったりする所が多々ありました。

美術館、博物館、ギャラリーなどの施設は、来場者に「これまで知らなかった新しい知的満足感」や「胸の高鳴り」を味わってもらう、いわば気持ちの伝達をする所です。企画する学芸員、キュレーター達はそういった来場者の気持ちを考える、柔らかな配慮の心を持つべきだと思います。決してこれ見よがしに自分達の常識の押し売り等をしてはならないのだと思います。ビジネスライクにいえば、来場者は交通費を使い、入館料を払って会場に行くのです。お金だけの問題ではありませんが、それだけの対価に見合う展覧会か、また来場者のさまざまな期待に応えるために、スタッフは心を砕いているかが問われます。また最近は作品の制作に注文をつけ、作家なのか展示者なのか区別のつかないキュレーターなどもいるようで、今後「伝える側」の本質が問われることにもなりそうです。

当然のことながら展覧会というものは、宣伝費を使ってPRすれば、自然に来場者がやってくるものでは決してなく、当たり外れの多いものです。館側にとって展覧会はビジネスです。予算、入場者数確保、各種のスポンサーとの折り合い等々、神経の磨り減る仕事であることは間違いのない事実です。しかし、そういった状況のために、データだけのビジネスになってしまってはいないか、と思うのです。展覧会とは極めてアナロガスなビジネスだということを忘れてしまっている館が多いのではないか、とも思います。人の気持ちに応えるためには、人の気持ちの受け皿が必要なのだと思います。それが考えられないスタッフであれば、ロボットのほうがまだましだと思います。

心の無い展覧会は、入場者の心に響きません。心の無い作品が、人の気持ちに訴えかけないのと同じです。来年はもっと心のある展覧会を観たいと思います。

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この一年、このblogにお出で下さった皆様。私の我侭な駄文の書き連ねをお読みいただき、誠に申し訳なく思っております。お出でくださった方々には御礼の気持ちしかありません。また新年早々にでも更新いたしますが、またのお立ち寄りをお待ちしております。

皆様の無事の越年と、来るべき新年のご多幸をお祈り致します。

どうぞ佳いお年をお迎え下さい。

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左・姉071226_102701 071207_073901 「佳いお年を・・・。私達もお祈りしております。」

右・妹「また新年にネ。」

(ネズミと相性のいい姉妹より)

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美術館スタッフの心得違い

師走に美術館廻り、などというと一般的には優雅な時間の使い方のようですが、その優雅な時間に不快を感じる美術館が増えてきているような気がします。それは展覧会会場にいる監視員、スタッフのことです。

0068 最近も監視員が気になる展覧会がありました。ひとつは『院展』の巡回展です。私は横浜のそごう美術館(~12月28日)で観たのですが、その時に作品の出品者か、関係者だと思われる年配の女性二人が、作品の前に立って声高に、家族のことなどを喋っているのです。声は大きいし、作品も見えないので、不愉快になり、監視員に注意してもらおうと視線を向けると、肝心の監視員はそっぽを向いて知らん顔です。そのくせ他の展示コーナーでは、椅子から立ち上がって歩き回り、作品を観ている人がいるにも拘わらず、その人の目の前を横切ったりするのです。

秋の『院展』は、春の院展と違い、作品も規定サイズが大きく(225cm×180cm以内)、中には作品を分割して搬入する作家がいたりするもので、展示作品を観るには、作品から相当に距離を置いて全体を観る必要もあります。その時に目の前を、他の客ならまだしも、監視員が横切ったりするのは大変に非常識だと思います。また最近は、椅子の傍に立っている監視員も多く見かけます。狭い展覧会場では、こういった監視員はことのほか視界の邪魔になります。

監視員は殆どの美術館では、警備会社で警備講習を受けた監視員か、美術館が募集したボランティアスタッフ等がアルバイトとして行っています。写真撮影、危険物の持ち込み、作品接触などの防止のために会場を監視しているのですが、まれに館の職員、学芸員なども動員されていて、求められれば来館者に作品の説明をする場合もあります。しかし、基本的に監視員は会場での不測の事故などに対応する人達で、来館者の鑑賞の妨げになることは許されない業務です。また危険防止を考え過ぎて、来館者に威圧的、懐疑的な視線を向けるなどの行為もいけません。

また、監視員の座る位置も作品鑑賞に大変邪魔になることがあります。これは会場設営の際に館側が決めることですが、ことに入り組んだ会場設定の場合、来館者が移動するのに監視員が邪魔になることが多々あります。また作品の鑑賞視野に監視員が入ってしまう場合が沢山あります。これは館側、運営側の展示センスの問題ですが。

0069 もうひとつ、横浜美術館で始まった『GOTH』展(~08、3月26日)でも似たような不快感を味わいました。コーナーの仕切り壁の多い会場だったので、必然的に来館者も細かい移動になるのですが、ここでも監視員達が歩き回っていて、展覧会場というより、何かお祭りイベント広場にいるような感じで、作品鑑賞をする環境では到底ありませんでした。またこの会場では、展覧会の企画スタッフなのか、運営会社員なのか、黒いスーツ姿の女性スタッフ達が、会場内を走り回り、彼女らの(何故か)得意満面?の忙しげな仕事振りが、会場の雰囲気、来館者の気持ちを見事に壊していました。

会場でじっくり作品を鑑賞しているところに近寄ってきて、頼みもしないのに「この作品は・・・」などと説明を始めるスタッフもいます。来館者の中には館の学芸員よりはるかに作品に精通している人がいるかもしれないのに、失礼な上におせっかいなことだと思います。鑑賞の世界を壊され、内心腹をたてて「(説明は)結構です」などと断ろうものなら、露骨に不愉快な顔をするスタッフもいます。こういった監視員、スタッフは煩く接客するデパートの販売員のようで、観客の思考を妨げるはなはだ迷惑な存在です。

こういった監視員、スタッフの行為は、ある意味、熱心さの表れなのかもしれませんが、全ては展覧会を開催する側から監視員に対する事前レクチュアの無さ、説明不足によるもので、監視員の勘違いだけではありません。

展覧会場というところは、催す側の意図が集約されるところですが、どれだけ細心の注意を払っても完璧ということはありません。そのため会期中に細かい手直しが必要にもなります。当然監視員にもそういった精神が要求されるわけで、会場の雰囲気を壊すような行為は厳禁であり、来館者に対し失礼があってはならないものです。展覧会の監視員は、いわばスポーツ試合の審判員といっても良い存在で、会場での観客によるルール違反を注意する者です。かといって威圧的に注意をする存在でもありません。そっと注意を促す、といった心得が必要な仕事です。

威圧といえば、学芸員なのか、キュレーターなのかは分かりませんが、来館者に対して高圧的な物言いをするスタッフがいます。そういった人達は、なぜか黒いスーツを着ている若い女性が多いのですが、見るからに「私は美術のプロで、素人に専門知識を教えてあげる」といった説明の仕方をします。その話を伺ってももほとんどの場合は失笑ものの場合が多いのですが、自意識過剰というか、逆に自信の無さがそうさせるのか、そういった物言いをするスタッフが多いのも事実です。美術大学を卒業しなければ美術が分からないと考える、バカな作家達と似たような人達だと思います。

一方で論外な来館者もいます。最近の美術館では、非常識な客が監視員やスタッフを困らせることが多くなってきているのは事実です。会場内でタバコをくゆらす人や、「もっと高い場所で、この絵を見たいから脚立を持ってこい」などと監視員にとんでもない要求をする人もいると聞きます。大声で話したり、笑いあったりする客もよく見かけることで、こういったさまざまな無作法に対応しなければならないのも監視員、スタッフの役目ではあります。しかし観客の無作法と監視員、スタッフの心得違いとはおのずと違います。

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今回は美術館の監視員、スタッフについての不満を書きました。こういったこと多くなってきたのは、このところの世相、人心の乱れが反映しているのかなどと考えています。

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<きょうのおまけ>

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クリスマスなので母子像です。とは言ってもマリアとキリストではなく、紀元前中国・漢の『母子像』です。玉石で作られています。素朴な造形ですが、子供を抱いた母の姿は、大いなる母の愛を感じさせます。(高6.5cm)

この母子像にご興味のお有りの方はコメント、メールなどをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071224_074301_3 「クリスマスには七面鳥を食べるんですってネエ。ワタシ七面鳥って知らな~い。ニワトリも本物って見たことがな~い。茹でた鶏肉は大好きだけど。」

ではまた。

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暖かい、穏やかな力

著名な画家と、それほど知られていない画家とでは、展覧会へのお客さんの数が違うのが世の習いです。日本人に大モテの後期印象派画家の展覧会などは、こんなにファンがいたかと思うような人出になりますが、あまり名前の知られていない画家の展覧会は閑古鳥が鳴く、という状況も多く見られます。しかし最近の絵画ファンはちょっと違ってきているのではないか、と思わせる展覧会がありました。

0061 随分、広告をしているせいもあるのかとは思いますが、来館者数の多さに驚いたのが、いま東京・渋谷のBUNKAMURA ザ・ミュージアムで開催されているアルベール・アンカー展でした。(~08年1月20日)

自然主義の画家アルベール・アンカー(Albert Anker、1831~1910)は、スイスの国民的画家として有名ですが、これまで日本では知る人の少ない画家でした。しかし、アンカーの描く故郷スイスの人々や風景は、本国では大変な人気で、作品は多くの美術館に納められている画家です。今回の展覧会は本格的にアンカーを紹介する国内最初のもので、これまで美術評論などでしか観たことがない私としては、勇躍!会場を訪れました。

0062 アンカーの描く19世紀のスイスは、どっしりと地に足をつけた生活を営む人達の世界です。人肌の温かさが伝わるような100点余りの作品はどれも素直に心に響き、魅了されました。私もこれまで沢山の展覧会を観てきましたが、こんな感覚を味わう展覧会は久しぶりのことでした。

アンカーはパリの画壇から「肖像画家」と、半ば謗られるような評価をされた時期もあったようですが、私は、生活のために、依頼肖像画を描くことが芸術家の道から離れるとは思いません。制作を依頼した人達が、大事に家に飾る肖像画を描くのが芸術家の道に背くのであれば、芸術家という存在は狭量な人達だと、私は思います。

0064 アンカーは肖像画の依頼がある度、依頼者に「美しく描いて欲しいですか?、それともあなたの本当の姿を描いて欲しいですか?」と聞いたそうです。当時、パリの画壇でも活躍したアンカーとしては、美しく描く肖像画を描くことに些かの逡巡があったのかも知れませんし、時代の風潮がそう云わせたのかも知れません。「生まれ変わったらバルビゾン派の画家になりたい」と語っていたともいいます。

0063 会場のザ・ミュージアムは今回、展示作品には自信はあるものの、国内の知名度という点では相当に思い切った企画だったのではないかと思います。しかし、会場に訪れていた人達は若い女性を中心に随分多く、それぞれの作品の前には人だかりができていました。そして会場内が終始暖かな雰囲気に包まれていたのは、作品の持つ「穏やかな力」のせいだったと思います。いま流行りの「癒し」的な画なのかも知れませんが、それだけのものでは決してない、テクニックといい、構成といい、洞察力といい大変に力のある作家だと思いました。この作家がこれまで日本にあまり紹介されなかったのは不思議です。

0066 作品を観て、素朴な感嘆の言葉ばかりが浮かんできました。本当に上手い。描かれた花が一目で何の花かが分かる、子供の、大人の、生きている時間の流れが分かる、そういった素人的感想です。こんな上手な画家がここにもいて、そして世界のあちこちにいるのだろうと思いました。素人が観て一目で分かる、素人の心を打つ作品を描けなくては、芸術家とは云えないのではないかと、私は思っています。その作品が欲しい、手元に置いておきたいと思う人、つまり作品を買う人は、評論家でも、美術史家でもなく、その作品が気に入った素人なのですから。一部のプロにしか分からない作品を描くのが芸術家である、という考えの作家は沢山居ますが、私は、そういった人達を冷笑します。「素人に分かるような画を書くな」と生徒に話す美大教授の言葉を聞いたことがあります。しかし私は、いわゆる素人で理論を持たない人達の心を打てない作品を、作家を、認めたくはありません。

0067 素直に心に響く作品は、それだけ力を持っていて、解説は不必要なものです。世の美術評論家や作者自身が、こと細かく説明しなくては分からない作品が多い昨今、そんな解説が邪魔になるほど、抵抗なく心に伝わってくる今回のような作品は少ないと思います。簡単に云ってしまえば、作品に力があれば、抽象画であろうが、具象画であろうが、現代アートであろうが、観る人の心を打つものです。観る素人の心を染め、感動させ、圧倒させてくれるのが、力のある作品だと思います。そういう意味では、作品に付けるキャプション、タイトルが無ければ理解できない作品は、暴論かも知れませんが、伝える力の無い作品だと思います。

0065 今回の展覧会は、世界の中、歴史の中に、我々がまだ知らない才能が埋もれていることを広く知らしめる、という、美術館の本来の使命を全うしていたのではないか、と思います。アンカーが埋もれていた才能だというのではありません。前述したようにヨーロッパなどでは大変に人気のある作家です。ただ日本ではこれまで、それほど著名ではなかった、ということです。美術館で心に響く作家を再発見するのは心地良いことです。

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「穏やかさの力」を反芻しながら、館を出て、暖かい気持ちで渋谷の雑踏の中を歩きました。

(画像は全て部分)

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<きょうのおまけ>

0010_2 『朝鮮・李朝時代の窓枠』

23cm×23cm、厚2.7cm。

この窓枠にご興味のお有りの方は、コメントなどお寄せ下さい。

詳しいご説明を致します。

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071207_073901_2 「師走ですってねェ。年越しっていうのが近いンですってねェ。でもワタシは歳をとらないことにするッ・・・・。」

「ではまた」

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横濱の時間

師走になりました。歳を経る程に月日のたつのが早くなる、と先人は云いますが、まったくその通りで、つい先日の記憶と思っていた出来事が、調べてみると今年の初めの頃のことだったりします。記憶の積重ね時間?が遅くなりつつあるのでしょうか。こんなことでは多分、師走もあっという間に過ぎ、あっという間に新年を迎えることになるのかも知れないと思ってしまいます。時間というものが歴史に変わるのに必要な検証時間とは、どれだけのものなのでしょうか。

0060 横浜市の中区に『横浜都市発展記念館』という博物館があります。安政6年の開港の頃から現代までの横浜の歴史を、さまざまな遺物展示で振り返る、という博物館です。

この博物館で、『写された文明開化~横浜 東京 街 人びと』(~08年1月14日)という企画展が開かれているということで、行ってみました。

横浜、の歴史を文献で辿ると、これがなかなか古く、11世紀にまで遡ります。桓武天皇の出身といわれる平良文の子孫の一族、平氏によって支配されたのが、この地域の歴史に残る始まりではないかと云われています。勿論横浜市には、縄文や弥生時代の遺跡もあり、それ以前から人の暮らしていた形跡は随所にあるのですが、歴史書に残る出来事としてみると、その後12世紀の鎌倉時代に北条氏の支配力が増大する、という時代が続くことになります。

しかし横浜の歴史としては、安政元年(1854年)に日米和平条約が結ばれた時から始まった、と思っている方は多いのではないかと思います。幕末、アメリカ代表のペリーが日本に開国を迫り、その後、アメリカ総領事ハリスによって日米通商条約が結ばれ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも通商条約が結ばれたのは皆様もご存知の通りで、横浜港の開港は安政6年(1859年)に定められました。近代日本の始まりとされるこの時期に、それまで相模の国の一魚村であった横浜が、日本の歴史に華々しく登場した、ということになります。横浜という一地域でみれば、横浜の歴史はここから始まった、といっても過言ではないと思います。

前述のように外国との通商が始まり、各国の文明が一時に流入した時期に、横浜という地域をいわば実験場として、さまざまな「ものの初め」が生まれました。

西洋式公園が建設され、灯台もでき、テニスが行われ、日刊新聞が発刊され、金属製(かね)の橋が造られ、アイスクリームが製造され、西洋野菜が栽培され、ガス灯が点され、街路樹が植えられ、ビールが製造され、鉄道が敷設されました。東京と横浜に日本人写真家による写真館ができたのもこの時期です。

0057_2 そんな時代に生きた人達の姿が、展示写真に残されていました。

伊藤博文が髷を結い、帯刀している写真は、現代の紙幣などに印刷されている威儀を正した明治元老の若き日の姿です。ホンの120年ほど前の頃です。

0059 外国からの写真術が流行した明治初期の頃の東京や横浜の風景写真も沢山展示されていました。現在、東京に次ぐ国内第二位の人口の横浜も、こういったセピア色の写真を観ると寒貧としたものでした。唯一、外国商館が立ち並ぶ海岸通りだけが異様に現代化していたことが展示写真でうかがえます。

明治の頃の写真を観ながら、時代の新旧に軽重があるのか、と考えてしまいました。縄文、弥生以後の歴史の刻を想いながら、遺物でしか確認できない時代と、写真というあるがままの姿を残せる利器が登場した、極く近代の時代と、その年代差は数千年に及ぶことを考えてしまいました。

たしかにこの時代から、国内も外国も事件も政治も、そして美談も醜聞も、歴史は写され、画像で保存され始めたのです。

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<きょうのおまけ>

Scan10018 『陶器製茶入れ瓶』

マイセン柄ですが、マイセン製かどうかは判然としません。

口金は銅製です。

高12cm、左右7cm、奥行4.8cm。

この茶入れにご興味のお有りの方は、コメント等お寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070818_070902 「お寒くなりました。皆さん如何お過ごしですか?。ワタシ、日中は美容のために?ひらすら寝ることにしています。美は睡眠から生まれるので~す。ではまた。」

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地には平和を、お金持ちは美術品を

このところ博物館行が多かった、せいでもないのですが、久しぶりに油彩画、ことに後期印象派の作品を観たくなり、秋の鎌倉に行きました。

0045 鎌倉・佐助の大谷美術館で、あの自由主義者で後期印象派の巨星、モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlamaink)の作品展示を行なっている、ということことなのです。(~12月8日)。この美術館は、鎌倉好きや、美術館巧者にはお馴染みのところです。

鎌倉は以前に住んでいたところでもあり、その後も年に数回は訪れているところでもあるので、市内の殆どの場所は諳んじている町です。細い小路でも、歩いていないところは無いといっていいと思います。今回も、美術館を観て、その後は下馬四つ角にある青物市場に寄って、野菜を買って帰る予定です。

0046 もうご存知の方も多いと思いますが、この大谷美術館は、東京・紀尾井町にあるホテルニューオータニの創業者で戦後の立志伝中の実業家、大谷米次郎氏の子息、米一氏の別邸で、その当時の内装を変えずに、そのまま美術館にしており、東京のニューオータニ美術館とは姉妹館ということです。

創業者の大谷米次郎氏は、戦前は満州で、戦後は朝鮮戦争特需で事業を広げた事業家です。東京・紀尾井町にあった、元伏見宮邸を戦後、米軍が買い取ることを嫌って、自身が買い取り、庭園などを活かしたまま、1964年、東京オリンピックに合わせ、ホテルニューオータニを建設、開業しました。米次郎氏は富山出身で、元力士という経歴の持ち主のせいか、ホテルニューオータニでは横綱などの結婚披露宴が多いようです。本人は、日本画、浮世絵コレクターとしても有名です。

0049 その子息の米一氏(~1995年)は、生前ホテルの前会長、ニューオータニ美術館館長なども務められましたが、何よりもフランス近代絵画に憧憬が深く、中でもエコール・ド・パリの作品を系統的に収集したコレクターでした。中でもデュフィの作品に傾倒し、収集した作品も多く、大谷コレクションといえばデュフィ・コレクションといわれるほどです。勿論、そのほかの作品も大変な点数を収集しており、今回のヴラマンク展も、このコレクションの一部です。

今回の展示は、ヴラマンクの油彩11点、エッチング2点、リトグラフ10点というもので、邸内のそれぞれの部屋に展示された油彩画は、それぞれ素晴らしい力のある作品ばかりで、ヴラマンクの凄まじいともいえる世界を堪能しました。

モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlamaink、1876~1958・仏)は、徹底した自由主義者で、自分の才能以外何ものも信じず、束縛されたり、服従することを嫌ったようです。実家は貧しく、16歳で家を出て、18歳で結婚。自転車競技選手やオーケストラのヴァイオリンを弾いたりして生計を立てていました。絵画は独学で、1900年に画家アンドレ・ドランと知り合い、共同でアトリエを構えています。またゴッホ展を見たことから、ゴッホの影響を受けました。影響を受けた画家はゴッホだけだ、と自身が表明しています。

厚く塗られた絵の具、強いハイライト、スピード感のあるタッチ、はダイナミックなヴラマンク絵画の真骨頂です。絵の具のチューヴからそのままキャンバスに叩きつけたような白い光が、暗いグレーの空をよぎって、陰鬱な街の風景をただならぬ光景に変えている、そんなヴラマンクの油彩画は観る者に鮮烈で、圧倒的な印象を残します。

0048 陽光に輝く相模湾を、遥かに見渡す広い瀟洒な部屋で、ヴラマンクの激しい油彩画を眺めるているうちに、昔のフランスの画商が言った言葉を思い出しました。

「芸術品は、お金(戦勝国に、と当時の画商は言っていましたが)のあるところに流れる。芸術品はお金によって動くものだ。」

                    ・

私は個人的で乱暴な意見として、国や行政による美術館創設には反対、という考え方をしています。公共機関の美術館は、個人コレクションの寄贈などはあるにせよ、原則的には国民、県民、市民などの税金で収蔵品を買い集めます。国民に広く文化の恩恵を、という考えは理解できますが、そのために”税金で芸術作品を買い上げる”、ということに賛成できないのです。国民はそういった税金の使い方に賛成したのですか?という疑問があります。また一方、現在は、公的美術館の入館料が高い、という不満もあります。それに比べ私立美術館は低価格の入館料を設定しています。当たり前に考えれば、公的美術館入館料が低価格で、私立は高価格になるというものですが、日本の、ことに東京や近辺地域の公的美術館は、まったく逆の形になっています。公的美術館は予算が少なく運営費がかかるので、などという意見であれば、公立美術館建設などやめれば良いと思います。

そうのようなことから私は、芸術品はお金持ちが買い集め、私的コレクションの発表の場として美術館を作るべきではないか、と思っています。お金持ちが自分でコレクションを収集し、美術館を建て、みんなに低価格で来館してもらう、という考えが、本来の美術館としての考え方なのではないかと思うのです。芸術品は役所の予算、つまり税金で買い集めるものではないのではないか、と思います。もしくは、収蔵品の全てが寄贈品という美術館にするべきではないか、と思うのです。

随分乱暴なことを書きましたが、どんな高額な美術品でも、好きなコレクターなら家運が傾いても買うでしょう。それだけ美に対する想いが強い、ということにもなります。好きな人が私費で買い集めたコレクションと、役人が税金を配分しながら購入作品を選択するのとでは、収集品の意味、美術品への想いが違ってきます。美術品には作家は勿論、関わった無数の人々の情念が渦巻いているのだ思います。美術品愛好家はさまざまな想いを持って、尊厳をもって”買う”のです。役人が国民から預かった税金の配分で購入するものではない、と思います。

お金持ちが、自分の嗜好で、有名画家の作品を買い集め、一般市民に公開することが、美術品に対する尊厳も保たれることになる、などと考えながら小春日和の中、市場を目指して歩きました。

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<きょうのおまけ>

Scan10007 「?」(古代バクトリア・紀元前3000年紀~2500年紀)

どのように使用されたものかは不明です。画像上の4本のトゲのようなところの根元に穴が開いていて、まだ発掘時の泥が詰まっています。

その穴に錫杖のようなものを差し込んだ、祭事用錫杖の頭部の飾りかと推察されます。画像とは天地が逆の使い方だったのではないかと思われます。

青銅製。画像上下11,5cm、横7.5cm、最大厚2.2cm。重230g。

この品にご興味のある方は、コメントなどをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071029_101401_4 「ワタシ達、まぁ、姉妹です。左は姉の蕾で、右が妹の菫です。仲良し・・・・の時は少ない・・・で~す。」

ではまた。

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古くて美しい馬達を観た

横浜の中区にある『馬の博物館』に行きました。

0032_2 この博物館は1867年に、日本で初めての近代洋式競馬が行なわれた横濱競馬場(根岸競馬場とも云います)跡の一角に、1977年に建てられた施設です。施設では横濱競馬場の関係資料、競馬の成り立ち、馬と人間の文化関係についての常設展示や特別展示などが行なわれています。

071114_100601_2 根岸競馬場は戦時中の1943年に閉鎖され、その跡は終戦後、米軍に接収されていました。1964年に一部が返還された後は、横浜市が根岸文化公苑として管理し、春は櫻の名所、秋は紅葉の散歩道として市民に親しまれています。横浜市民には懐かしい競馬場の観覧席跡も、いまはモニュメントとして一部が残っているだけです

0033 馬の博物館で、今回は特別展”馬のシルクロード”(~11月25日)という展示を行なっていると聞き、古代ユーラシア大陸の文明・文化移動に興味がある私としては、逃せない企画展でした。

ユーラシア大陸の歴史を考えるとき、人と馬との関係は欠かせないもので、遊牧民のみならず、移動手段としての馬は各地の交流の最重要手段として用いられました。人が馬を利用し初めた時代は、年代的には判然としませんが、遥か紀元前数千年前頃にコーカサスの遊牧民が馬を利用し始めた、という説が有力です。馬文化の日本への伝播はずっと遅く、紀元4~5世紀頃のようです。

今回の展示は、古代オリエント世界の馬文化、ギリシャ・ローマの馬文化、草原の馬文化、中央アジアの馬文化、インドの馬文化、中国の馬文化、東アジアの馬文化、といった具合に、地域、文化毎のジャンルで、ユーラシア大陸の馬の歴史を網羅する壮大な企画展でした。

0038 今回の展示品で、一番古い年代の展示品ではないか、と思われるのが、紀元前3千年紀~前2千年紀のバクトリアで使われた「馬形斧」です。バクトリアという古代交易国家は現在も発掘中ということもあって、大変に謎の多いところです。発掘関係資料も少なく、入手に苦労します。

会場で歴史上重要な遺物などを次々と眺めていて・・・突然「コケーコッコッコ、コケコッコー」という鶏の鳴き声と、「ヒヒーン、ブルブル」という馬の鳴き声が聞こえました。そういえば、と思い確かめると、ユーラシア大陸の様々な国の遺物が展示されている会場の一隅に、日本の”岩手・南部曲がり屋”の展示コーナーがありました。南部曲がり屋というのはご存知のように、昔、岩手県の南部地方にあった、人が住む母屋と馬小屋が同じ家屋内にある家屋形式のもので、民話のふるさと、といわれる遠野周辺でも、昔はそのような農家が多かったという独特の家屋形式です。

この博物館は常設展では、馬や鶏の剥製などを置いた、南部曲がり屋の再現コーナーを展示しているのですが、そのコーナーでの効果音として、前述の鶏と馬の鳴き声が聞かれるのです。そして、特別展のこの会場でも、この曲がり屋コーナーがそのまま展示されていました。

0041 「フムフム、これが古代ローマの、中国の・・・・」と思いつつ、展示されている遺物を眺めている場に、この突然の鶏、馬の効果音は、想念を打ち切るものでした。アジアの草原を疾駆する遊牧民の残した遺物や、古代中国の騎馬俑0034_2 などを観ているときに、この効果音は、いくら馬の鳴き声としても、ギャップがあり過ぎました。おまけに鶏の鳴き声は・・・。せめて疾駆する馬のひずめの音、草原を渡る風の音、などにして欲しかったと思うのです。何故、この会場に南部曲がり屋の展示が必要だったのか、疑問です。期間中閉鎖する方法もあ0041_2 っただろうに、と思います。

また、会場の展示品は200点近い点数で、二つの会場に分かれてはいるのですが、従来の展示スペースに展示するには狭すぎ、そのため展示品を詰め込みすぎてしまい、窮屈に見えたことは、展示品がそれぞれ大変な時代背景を持っているものだけに、極めて残念でした。メリハリをつけ、もう少し立体的な展示0042 がなされていたら、と思わずにはいられません。時代背景を感じさせる展示というものは、それなりの方法があるわけで、展示品に説明カードを付けるだけでのものではない、と思います。

たしかに今回の展示は、コーナーのテーマが多すぎて、そのために展示品が多くなったことは理解できます。馬の博物館だけに、歴史的遺物として馬に関する展示品を集めた、ということは分かるのですが、時代背景も、遺物の0040 持つ意味も薄れるような展示は如何なものでしょうか。あまりに空間のないところに展示品が並んでいるのは、時代の流れが理解できないことになるのではないかと感じました。それぞれの展示品が、考古学的にも、歴史学的にも重要な品々だけに、全体として雑駁な印象を受けたのは、0044 古代ユーラシアファンとしては残念なことでした。

私としては、今回の展示品は、いわば鳥肌が立つほどの品々でしたが、それも時代的背景が理解できたり、遺物をじっさいに使っていた古代の人々の肌合いが伝わるからであって、そのような考え方にあまり興味のない方にとっては、単にゴチャゴチャと並んだ遺物としか映らないのではないかと思います。しかし、そういった方々にこそ、時代背景が伝わるような展示方法が必要なのだろうと思うのです。

展示されていたユーラシアの馬達は皆、古くて美しく、蹄の音、嘶きが伝わってくるものでした。

さまざまな地域の、さまざまな商品や情報・文化が、広大なユーラシア大陸を馬という移動手段で疾駆し、伝わっていった、という壮大な歴史の時間を、もっと感じたいと思いつつ館を後にしました。

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<きょうのおまけ>

Scan10003_2 古代の馬続きで・・・こちらも、

『青銅・馬』(紀元前3000年期~2500年期、古代バクトリア=アフガニスタン北部)長4.7cm、高4.3cm。

この青銅馬にご興味がお有りの方は、コメントをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。      yoshida art

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071113_103401_3 「ワタシ、蕾です。以前手術してから、スコーシ太ったみたいなんです。スコーシですけど。お父さんとお母さんが、アナタもイイ年なんだからって、食事には気を使ってくれてるみたいです。秋も深まってまいりました。皆様もお風邪など召されませんようご注意あそばせ。ワタシはストーブの傍で暖かくてイイ気持ちです。ではまた。」

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港の博物館・マリタイムミュージアム

071103_135201 港には船、船には水夫、水夫にはセーラー服・・・そして水夫は何故セーラー服なのか?。というわけで、秋晴れの某日、横浜港・みなとみらい地区、JR京浜東北線桜木町駅脇の、マリタイムミュージアムに行きました。この館で催されている企画展『セーラー服と縞のシャツ』という展示を観ようと思ったのです。(~11月25日)

071103_134902 このマリタイムミュージアムとは、正式には「横浜マリタイムミュージアム 帆船日本丸」という名称で、昭和5年、神戸の川崎造船所で造られた、運輸省航海訓練所の元練習船・日本丸を、横浜港脇の元造船所ドッグに浮かべて展示している”日本丸メモリアルパーク”に隣接している、港と船の博物館のことです。「マリタイム」とは英語で「海の」「海のこと」という意味だそうで、海のことについての博物館、という意味なのだそうです。

071103_143301_2 1989年、平成元年に開館したこのミュージアムには、常設展として「帆船日本丸について」「横浜港の姿」「船の変遷」「世界の港」などのゾーン分けで、横浜港に設置されたカメラでの港内の生中継映像や、操船シミュレーション、19世紀以降の船の模型などが展示され、船内見学もできるため神奈川県内や近県の小中学生の校外授業見学コースにもなっています。

なかでも常設展示である大型船の模型展示は圧巻で、精巧に作られた大きな船舶模型は、子供ばかりでなく大人の興味も尽きません。船舶好きの人にとってはたまらないものだと思います。

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港の海面より下、つまり地下につくられているこのミュージアムは約2500㎡の広さで、その一隅に今回の企画展『セーラー服と縞のシャツ』の展示会場がありました。正式には『セーラー服と縞のシャツ その由来と広がり』という展示名で、海の男の仕事着として誕生したセーラー服が、その後どのようにして女学生の制服や、子供服などになったかということを、各種のセーラー服をはじめ、写真、オモチャなど約200点の展示で紹介しています。

0026_2 セーラー服が何故あのようなデザインになったのかは定かではないようです。独特の大きな襟は、ジョンベラと呼ばれているそうで、これはイギリスのJohn Bull からきているということで、用途は水夫が甲板の上で作業するときに、風などの影響で声が聞きにくい時に、襟を立てて集音に使うためとか、セーラー服が出来始めた頃(原型は17世紀頃ともいわれています)、特に貴族階級の男性の髪型が、長髪を後ろで括った形が多く、おまけにポマードなどで塗り固めていたため、着衣の後襟や背中が汚れてしまうため、服のカバーとしていたとも云われています。しかしまだ正確な理由は分からないようです。またセーラー服の胸元が大きく開いているのは、海に落ちた際にすぐ服を破き、泳ぎやすくするため、とも云われているようです。現代の女子高生のセーラー服の襟に結ぶスカーフは、当時、水夫達が装飾や手ぬぐいとして使った布の名残りです。

セーラー服を正式な海軍軍服として最初に採用したのはイギリス海軍(1857年)で、各国の海軍がこれを真似て採用したようです。日本海軍でも1872年に水火夫の制服として採用しました。

0031 海軍の制服としてセーラー服を採用したイギリスでは、1846年に当時5歳だった皇太子(エドワード7世)が、王室ヨット乗組員の服であるセーラー服を子供用にしたものを着用し、これを絵画にしてから、忽ちセーラー服は男の子の普段着としてイギリス、アメリカに流行しました。日本でも一部の上流家庭などでは、子供のよそ行きや学校着として着用されていたようです。

その後セーラー服は、女性のファッションにも取り入れられ、日本では女学生の体操着として、上衣はセーラー服、下はブルマーという型になり、会場にも当時の衣類が展示さ0030_3 れていました。

その後1921年(大正10年)頃には、京都の平安高等女学校、福岡の福岡女学校、名古屋の金城女学校などが学校の制服として採用し、その後全国に広まったといいます。会場には、そんなセーラー服制服が展示されていて、今は無い優雅で清楚な女子高生の面影が感じられました。

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一方、展示名にもある縞のシャツですが、船員、水夫の代名詞といわれるこの横縞のシャツは、これも起源は定かではなく、記録によれば17世紀初期のイギリス東インド会社の船員の遺品に、縞のシャツが残されていたようですし、17世紀後半にイギリスとオランダの海戦を描いた画にも、横縞の服を着た水兵が描かれており、このあたりから次第に船乗りの横縞シャツは定着していったと云われています。

この横縞シャツの流行は、17世紀以降に紡績機が量産され、このメリヤス編みの縞シャツは、ニットを加工し、メリヤス編みで横縞模様を織るだけなので、手間もかからず、そのため値段も安く、低賃金の水兵には入手しやすかったためと考えられているようです。

その後、横縞シャツはフランス、ロシア、オランダ、ノルウエー、デンマークの海軍が正式衣料として採用しています。ことにフランス海軍は、1857年から現在まで、白とインディゴブルーの横縞の綿ティー・シャツを日常着にしています。横縞シャツはその後、海軍のみならず一般の人々の遊び着、水着などにもなり、衣類のほかにもパラソルや日よけテントなどにもそのデザインが取り込まれてきました。

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しかし展示を観ていて、横縞、ことに白と紺(インディゴ・ブルー)の縞模様の起源がはっきりしないのにはイライラさせられました。紡織機の普及に伴う大量生産については分かるのですが、何故、白と紺の縞なのか。海に於ける白と紺のストライプはたしかに視覚的には気になる色の取り合わせですが・・・・。こんな根源的な謎を残しつつ会場を後にしました。ストライプ模様の起源、という本でもあれば解決するのでしょうが、浅学の徒としては疑問が深まるばかりでした。

また、この企画展の展示品点数の割には会場が狭く、視覚的に忙しいものになっていたのは残念なことでした。もう少し立体的な、視覚的にも来館者に迫る展示が出来たのではないかと思います。せっかく港らしい企画展なのに少し惜しい気がしました。

071103_151001_2 疑問は残りつつ、帰りに日本丸の船内を見学したのは云うまでもありません。

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<きょうのおまけ>

Peace_portdm_2 今回は『スリーシーター(三連)ベンチ』です。

1930年頃のイギリス・ロンドンの教会で使われていたベンチです。

座面は三つ共、折りたたみ式になっていて、使わない時は収納しておけるようになっています。

70年以上の歳のベンチですが、造りが頑丈でビクともしていません。

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このベンチにご興味のお有りの方はコメントなどお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071028_062201_2 「もう立冬も過ぎましたネ。寒くなると元気になるワタシで~す。ではまた。」

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ベランダ・バラ園便り

秋のバラは寂しい、という人がいます。たしかに春の時期に比べれば些か、勢いに欠けるものがありますが、秋のバラも捨てがたい風情があります、

きょうは我が家のベランダ・バラ園便りを・・・・。

071030_163901_7 まずは「サンタモニカ」(手前)と「花霞」(後方)です。

071030_163801_2 右は「イレーネ・ワッツ」

花径は10cm。珍しく春よりも大きい花をつけました。

優しい薫りで、気品のあるバラです。いま次々と蕾をつけています。

071101_065802_4 左は「マチルダ」開き始めです。

春の開花時期よりは、小さめの花径になっていますが、美しさは・・・勿論変わりません。

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右は「アイスバーグ」

白雪姫の名前のように、良い香りです。

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071030_164001_2 右は「フェリシア」

蔓バラ特有の、多弁の花を細いステムで支える姿が、何とも嫋やかな風情です。

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左も「フェリシア」

朝の光で撮影したら、こんな色になりました。

細いステムの感じが分かるでしょうか?。

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071030_164201_3 コンパニオン・プランツの「ルリマツリ」。

涼やかな花の色が、秋のバラを引き立ててくれています。

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以上、最近我が家のベランダ・バラ園で咲いているバラ達をご紹介しました。それぞれ蕾が沢山ついていて、しばらく咲き続けるようです。

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070610_142101_2 それではまた。

         

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難解な秋の日

0075 秋晴れなので、という理由で近所の神奈川県立近代文学館に行きました。この館は横浜の観光地である”山手・港の見える丘公園”内にあり、横浜・神奈川ゆかりの近代文学の作家達の業績などを、テーマに沿って展示しています。

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秋晴れという理由はともあれ、今回の展示テーマが、~無限大の宇宙・埴谷雄高『死霊』展~、というもので、日本で一番難しいといわれる未完の大作『死霊』を書いた埴谷雄高の業績が、どのような展示になるのか、些か興味を持っていました。(~11月25日)

難解な文学といえば、マルセル・プルースト、ジェイムズ・ジョイスなど外国の作家による小説が有名ですが、国内での難解文学の最高峰といわれる埴谷雄高のライフワーク『死霊』の世界を”見せる”ための工夫がどのようにされているのか、展示に興味を持って入館しましたが・・・・、

0076 案の定というか、仕方の無いことというか、会場は文字説明パネルの多い展示になっていました。そしてこのパネルも難解で、曰く(作品は)『虚体、虚数、虚在、夢魔、最後の審判、無限大、未出現、存在の電話箱、自分だけで行なう革命、暗黒速、念速、と多くの概念が具象性を持って描かれている』などと書かれているパネルが多数展示してあり、それを読んでいるうちに、次第に学生の頃の年表暗記の時間にも似た睡魔が襲ってきました。

パネル以外に展示されている、愛用の万年筆、自筆原稿、小学校時代の絵などは作家の面影を偲ばせるものでしたし、文学仲間達との写真も多数展示されていて、作家の日常生活の匂いが感じられました。しかし、作家の日常の匂いと作品とのあまりの世界の違いに、繋がらないものを感じたのも事実です。

埴谷雄高(はにや ゆたか、本名:般若 豊)は1909年生まれ。幼少の頃から身体が弱く、常に死を身近に感じている子供だったといいます。若年の頃、思想家マックス・シュティルナーに影響を受け、その延長線上で後年、ドフトエフスキーやカントに傾向していったということです。結婚してから腸結核を罹病し、四年間の闘病生活も経験しています。1997年没。享年87歳。

展示パネルの話に戻ります。『生き方が暴力的にしか現れない人間を、惟観しているだけの人物が、一歩を踏み出せない人間の精神内部を掘り下げるとどうなるかを(作家は)考えようとした。』また『私は私であることに不快だ=自同律の不快、から、創造的虚在である虚体を創造する小説へと発展していった。』・・・・・・。

これは読んで理解するのに、相当な思考的鍛錬を必要とするパネルです。些かでも理解するのに相当の時間を要します。

『死霊』は、単純に云ってしまえば「自分とは何か」を問い続けた作品ですが、埴谷雄高は当初、主人公の五日間の出来事を扱う小説にしようと考えて執筆を開始したそうです。しかし実際には三日間の出来事を扱ったところで作家の死去により、この世界文学史上未曾有の形而上小説は未完の大作となりました。

沢山の文学賞を受賞しつつ、約50年間を一作だけに集中する力というものは、常人では及びもつかない精神力、内部洞察力、思考の展開などが必要なのだろうと思います。

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文学館という施設は全国にありますが、ほとんどの館は、他の文学関係者などとの写真、自筆原稿、初版本、愛用していた筆記用具などの展示がされています。そして文字の説明パネルです。作品の世界と作者の日常という二つの面を観せることが、概ねの文学館での常道、のようですが、あまりにも類型的な展示は、飽きます。常に新しい展示方法を心がけるのが文学館スタッフの責務とも思います。文字の世界と展示というビジュアルの融合を期待したいと思います。

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説明パネルまで難解な会場を後にする頃には、真剣に、自分の頭を休める方法を考えました。

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<きょうのおまけ>

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『蕎麦猪口』(江戸後期)

新蕎麦の季節です。マイ蕎麦猪口を持って、蕎麦屋に行くのも乙なもので・・・。

この蕎麦猪口にご興味がお有りの方は、コメントなどお寄せ下さい。

詳しいご説明をさせていただきます。

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071029_101401_5 「私達姉妹は、一応?ナカヨシです。左が姉の蕾(つぼみ)。右が妹の菫(すみれ)です。」

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右の薔薇は、秋の「イレーネ・ワッツ」です。我が家のベランダ薔薇園は今、サマースノウ、フェリシア、カクテルと秋薔薇が満開です。

ではまた。

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シュールな?秋日和

071020_143302_3 この爽やかな秋日和に、何でシュルレアリズムの展覧会を観に行ったのか、と思っています。横浜港の上空に、刷毛で描いたような秋雲がかかっている日でした。

ものの本によると、シュルレアリズムとは「ものすごく過剰なまでの現実」という意味で、「シュルレアリズム=超現実主義=現実を超越した非現実」ということではないとのこと。夜みる夢や、見慣れた都市風景、むきだしの物事などから感じられる「強度の強い現実」ということで、相当に理論先行の美術形態といえると思います。国内にこの芸術形態や主張が入ってきてから、次第に”国内的消化”がされて「やや難解でアーティスティック」という理解になったということは頷けることでもあります。

0069_4 詩人アンドレ・ブルトンが1920年頃この概念を提唱したとか、フロイトの精神分析の影響によるとか、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画の影響がとか、さまざまな美術史の解説本を読んでも、所詮私には、作家の内面の表現方法なのだとしか理解できません。基本的に内面の表象として「既存の状態を超越している」「少し変な」という作品なのだと納得しつつ、横浜美術館の『シュルレアリズムと美術』展に行きました。(~12月9日)

今回の展示は、美術史にとってシュルレアリズムとは何だったのかを、作品の時系列的展示により、その推移をみる、というものらしいのですが、人気のあるサルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ等、錚々たる作家達の作品約120点の作品を観ながら素朴に感じたのは、学生の頃、美術の教科書で、こういった作品の写真をよく見たなあ、ということでした。

0070_4 展示作品を観ながら「ナンだか古典の絵画を観ているような」気になったのは、こんな経験からだったのかも知れません。たしかにシュルレアリズムは20世紀初頭に、それまでの写実的な意味合いを強く持っていた絵画作品、立体作品に革命的な影響を及ぼした概念であることは理解できますが、もう半世紀以上もの間、我々がさまざまな場面で目にしてきた作品を再見すると、何か「ちょっと感覚が古いかナ・・・」と思えてしまいました。それに比べると中世や18世紀頃の、それこそ写実絵画や記録絵画、印象派の作品等は、何度観ても見落としていた部分が発見できて、再見に耐えるものが多いのですが。しかしこれは、あくまでも私の鑑賞態度や、理論的不勉強のせいなのでしょう。

0071 私は展示作品の中で、横浜美術館収蔵の、ダリが奥さんのガラを描いた小さな作品が好きで、この細密画に近いほどの作品は、ダリのガラに対する愛情が感じられる佳作だと思っています。しかし、これも今回の展示説明でシュルレアリズムの作品だと云われると、ちょっと考えてしまいます。いくらシュルレアリズムの作家といっても作品によっては写実的なものもあったりするのが当然でしょうし、そのジャンルの作家だからといって、全ての作品がそうであるとは限らないと思うのです。

0073 見慣れた?作品を眺めながら、どうしても「古びた」という感じを拭えなかった今回の展示は、美術史上の革命的概念の所産、といったことになるのでしょうが、およそ7~80年前の作品が、これほど心に響かないのは何故なのだろうと思ってしまいました。それぞれ確かな力を持つ超・有名作家達の作品なのに、と思いました。

0072_2 結論的にいうと、私にとって絵画は、「理論」で観るものではなく、私の貧弱な感性にどれだけ呼びかけてくるか、という観点だけでしか鑑賞できないのだ、ということに気付きました。肌合いでしか作品を鑑賞できない、理論武装ができない、ということでしょうか。私は説明が必要だったり、解説付きでなければ鑑賞できない作品は嫌いです。自分の好みの作品は、少々解説が付いても許せるのですが、ハナから「これはこういうふうに観るのですヨ」などと云われると、へそ曲がりの私としては「勝手にさせてくれ」と言いたくなるのです。

0074 鑑賞が浅い、勉強が足りないと言われればそうなのでしょうが、私は展示作品を”自分勝手に観て、考えて、感じたい”と思っています。「このように感じてください」などと云われて、「ハイ」とは言いたくないのです。作家の精神性に感応したくて美術館に行く私としては、解説ご指導に素直にはなれません。

私的に言えば「古色蒼然」とした展示を後にして、館外から横浜港の方向に、最近横浜市が港に建設した、風力発電用の白い大きなプロペラが、風を受けてゆっくり回っている風景を眺めた時に、このほうがずっと「シュール」な風景に感じたのですが、これも日本的解釈のシュールレアリズムなのでしょうネ?。(作品画像は全て部分)

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<きょうのおまけ>

0003_2 『彩小輪花皿』(中国・清)

径6.8cm、高4cm。

清の時代、同治帝の頃のお皿です。花に蝶の彩色です。

このお皿にご興味がお有りの方はコメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

yoshida art

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070706_215601_3 「良い気候になりましたこと。ワタシもそろそろ冬毛ファッション。」

ではまた。

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良い作品展に出会った。

070917_142001 銀座に行くたびに、数軒の美術ギャラリー巡りをします。ギャラリーに入る度に、作家達の新しい世界が広がります(広がらない場合もありますが)。新人や、中堅作家などが個展をする、ということは、それなりの制作期間の成果を見てもらう、ということで、自ずと力が入っているのが普通です。しかし、中にはあまり力が入っていない個展もあります。展覧会の期日は、会場のギャラリーの予約などからいっても、ほぼ一年前に決めることが多いのですが、その後、肝心の制作が進まなかった、などという場合も多いようです。

071016_125501 先日も、京橋のINAX:GINZA・INAXギャラリーをのぞいたのですが、なかなか面白い作品展を行なっていました。このビルは、8階建てで、3階から上はタイル、浴室、キッチンなどINAX製品のモデルルームになっているのですが、私は2階にある三つのギャラリーが気に入っています。ギャラリーの面積は3部屋共それほど大きくないのですが、ここで行なっている展示が、面白いので毎回注目しています。以前観たときには「日本の海岸への漂着物展」という、まるで国土交通省等が開催する展示会かと思うような、実は『作家の個展』だったりして、なかなか日常感覚を覚ましてくれるような作品展が多いギャラリーです。それぞれのギャラリー(室)に数歩で行けるという利点もあり、ディスプレイも気を使っていて、気持ちの良いギャラリーです。

今回は「石はきれい、石は不思議 -津軽・石の旅ー」という展示と、セラミック作家・福本双紅さんの、「-透明なものへー」という二つの作品展を観ました。

071016_123801 「石はきれい、石は不思議 -津軽・石の旅ー」(~11月24日)は、津軽の海辺や川原などの石を収集する、何人かの石コレクター達のコレクション展示で、さまざまな石の形や、模様などには、幼い頃の石拾いの郷愁と共に、色とりどりの石の形状に思わず心を奪われました。071016_123903_2 ひとつとして同じものがないという不思議、に魅せられた人達の、それぞれの想いと、実際に石を見つめているうちに広がる宇宙といったものを感じました。

誰にでもできるコレクション。しかし、収集を目的にしないまでも、掌にのせて、握る心地よさを味わいながら、思わず夢中で集めてしまう「石」の不思議さは、石を尊崇したり、道具に使っていた古代の人達のDNA071016_123901_2 が、現代人にも残っているのかも知れないという、体内の記憶を呼び起こさせるような気持ちになりました。

どれだけの時間をかけて、こんな形になったのか。数億年、数万年という長い寿命の石に、それに比較すれば瞬時といえる一生しか持たない人間が、こんな出会い方をする、という邂逅の不思議さも感じました。

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もうひとつのギャラリーはセラミック作家・福本双紅(ふくもと ふく)さんの、「-透明なものへー」という作品展でした。(~10月29日)

071016_124803 この作品展は、久しぶりに「作家の意思を感じさせる」見応えのあるものでした。プロフィールを拝見すると京都市立芸術大学工芸科で陶磁器を専攻された若い女性作家のようですが、この10年間でほぼ休み無く、作品の発表をされており、さまざまな賞を受けている作家のようです。

私は作家の受賞歴にはあまり興味のある方ではありません。現在の展示作品がどれだけ心に響い071016_124801_2 てくるか、ということが大事と思っています。そんな観方をする者にとっては、作品の持つ力、作家の感性がどれだけ迫ってくるか、だけが重要で、どんな大きな賞をとった作家でも、その作品が私に迫るものが無ければ、「はい、それまで」です。また作品が良くてもディスプレイが悪いと、作品の魅力は半減します。館側は勿論最善を尽くすのでしょうが、ディスプレイに興味の無い作家が多いのも確かです。作品の展示に対して興味の無い作家は、私から見れば作家としての才能が無い、と云っても良いと思っています。

そんな観方しかできない私にしても、この作品群は作家の意思が伝わるものでした。薄い白磁器に小さな穴を開け、沢山のテグスや細い針金で繋ぎ、空中に吊ったり、壁に付けたりする作品群は、薄い磁器と細いテグス糸との張り詰めた緊張感と、清冽な精神性が感じられました。解説には白磁器によるインスタレーションとありましたが、そんな定型の解説は不要の作品展だと思いました。また展示自体も凛とした美しさがあり、極めて演出力の高い展示だと思いました。私にとってはこういった感性のある作品や展示に久しぶりに出会い、満足度の高い作品展鑑賞のひと時を得ました。

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<きょうのおまけ>

0015 「匣(さや)」高7.8cm、径11.5cm。

陶芸作品を窯に入れ、焼成するときに、小さな作品ならば、このような匣の中に入れて焼きます。

そのためは、匣は何度も火をくぐります。そして匣自身の色や、付着するものなどで、少しづつ姿も変えていきます。

灰皿に使うのは少々もったいない感じがします。あなたなら何に使いますか?。

この匣にご興味のお有りの方は、コメント&メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071017_163602_4「やっと、 秋が来たようネ。」

ではまた。

                    

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金木犀とヴェネツィア

071010_135801_3 今年も金木犀が薫る季節になりました。金木犀はトイレの芳香剤の香りを思い出すという人がいますが、本物の金木犀と芳香剤とでは、まるで香りが違います。そのほかに梔子や沈丁花、薔薇などの香りに似せた芳香剤もありますが、あれは似せている、ということにもならないような合成香で、本物と偽物の違いは歴然としています。芳香剤がいくら本物に似せた香りを作っても、所詮化学合成による偽物で、それとこれとを嗅ぎ分ける嗅覚を磨くべきだと思うのですが、こればかりは人それぞれの嗅覚能力で、とやかくは言えません。

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渋谷東急BUNKAMURA ザ・ミュージアムで催されている『ヴェネツィア絵画のきらめき』という展覧会を観に行きました。(~10月25日)

0064_2 この催しは、5世紀頃からおよそ1000年にわたり、現在のイタリア北部に栄華を極めたヴェネツィア共和国に花開いた絵画を展示したもので、ことに5世紀頃から急速に発展したヴェネツィア絵画は、華麗な色彩に特徴があり、西洋絵画の発展はヴェネツィア絵画から始まったといわれています。

会場は、宗教・神話・寓意、統領のヴェネツィア、都市の相貌という三つのパートに分かれて、86点の色彩豊かな絵画作品が展示されていました。

描いた作家達も、ティツィアーノ、ティントレット、ピットーニ、ティエポロ、ロンギ、ベッラ等々と、ヨーロッパ中世絵画の愛好者からみると涎のでそうな有名作家の作品ばかりで、収蔵先が有名美術館や個人の所蔵品というのも頷けることでした。

0065_3 中でも、街なかを広く俯瞰した都市景観画は、当時の人達の服装や動きなども細密に描写されていて、人々の息吹が感じられ、歴史的価値としても面白いものでした。

0067_4 よく、絵画作品などは美術館に所蔵されると、その生命は終わる、などと云われますが、たしかに美術館等などで、ほの暗い照明を当てられて飾られている作品を観ると、何故か「作品のミイラ」を観ているような気分になります。今回の鮮やかな色彩の作品を観ていて、それぞれに生き生きした作品だけに、余計にそんなことを考えてしまいました。

0066_2 美術館は所蔵品などを展示、研究し、興味のある人達に観てもらうための施設でありますし、そのために我々も普段目にすることができない、素晴らしい芸術所産を、目の当たりにすることができる機会を持てるわけですが、一方でそういった作品を個人で所蔵し、自分のコレクションとして日々眺めている人達を羨ましく思う気持ちもあります。気に入った作品を、自分のものだけにしておきたい、という気持ちは誰にでもある欲求ではないかとも思います。そして、気に入った作品を買って自分のものにする、あるいは作品を売る、という行為が続く間は、その作品が生命を持っているのではないか、とも思うのです。作家没後でも、こういった行為が続く間は、その作品は生々しい生命を持ち、作家の想いが受け継がれているような気がします。                    

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0068_2 第一次大戦後のヨーロッパでは、貴族や財閥達の間で絵画コレクションが流行し、画匠達も競って古典絵画や、中世の絵画を売りつけました。その頃の画匠達の中には絵画の歴史や意味付けなどをよく勉強している者も多く、買い手に美術鑑賞の知識なども教えていたようです。作品の売り方も「この作家の作品は、これだけ揃えないと、貴方のコレクションとしては意味を成しません」というような、理詰めの、いわばウマイ売り付け方をしていたようです。今回の展示作品にも個人蔵のものが多く、伝統のあるお金持ちが所蔵する財産、という想いがして、それだけに作品の生々しい息吹が、まだ続いているという印象を深くしました。

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イタリア語でVenezia=ヴェネツィア、英語ではVenice=ヴェニス。あの水没が懸念されている古い街に、こんな素晴らしい歴史があったのだ、という素朴な想いを持ちながら、館を後にして街に出ると、壊れたオモチャを撒き散らしたような渋谷の現在がありました。学生の頃には、もっと落ちついた趣きのある街だったのに、と思いつつ数十年前の思い出が跡形もない街を、急いで通り抜けました。

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<きょうのおまけ>

0009 「龍唐草青花碗」(中国・清)

径15cm、高台径7・2cm、高6・5cm。

染付けの美しい清時代のお碗です。

茶漬け碗にはもってこいの大きさです。

この碗にご興味のお有りの方は、コメントなどお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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071006_094601 「もう北海道は雪の季節なんだって・・・」

ではまた。

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知的文化度の低い、由無し言

070923_074501_4 気になりながらも雑事に紛れて、blogの更新が出来ないまま二週間も経ってしまいました。よく、blogは毎日書くもの、と云われますが、私はなかなかそうはできず、これまでも一週間に一回程度の更新、というペースでした。毎日、”由無し言(よしなしごと)”は頭を掠めるのですが、それはあくまでも”由無し言”で、広辞林にもあるように、「なんという理由もない、つまらない言葉」であり、ことさらblogに掲載しても・・・と思ってしまうのです。それではこれまで意味のある内容のblogだったか、と聞かれれば、赤面するしかなく、ようやくこのblogも”由無し言”だったと気がつく有様です。

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「今週末まで」「三日後には」「明日まで」という、テレビ天気予報の暑さ予報が続き、このあたりも今日やっと少し涼しくなりました。しかし今夏の酷暑は尋常ではなく、その被害者の多さに、改めて熱中症の怖さを再認識するようなことでした。世の中、暑さ好きの人達ばかりではなく、私のような寒冷地仕様の暑さにヨワい者もいるわけで、そんな者達は、テレビのお天気おねえさん達が、笑顔で「今日も気温は30度を越え、暑くなるでしょう!。」と元気に云われるとガッカリしてしまいます。また、付けたりのように「熱中症にはご注意くださ~い」などと云われると、その心無い言い方に怒りさえ覚えてしまいます。

070923_074401_4 秋雨前線が南下して太平洋上に去れば、日本は大陸からの秋の空気に包まれ涼しくなりますが、今年は彼岸を過ぎても摂氏28度~25度という気温がしばらく続くようです。しかし朝夕の気温は下がり、20度程度にはなるようで、これまで酷暑に順応してきた身体にとっては、随分涼しく感じます。しかしこれはあくまでも『比較』の問題で、これまでの暑さと比較すると、ということです。人の感じる適温というものは千差万別です。

人間、この『比較』ということはいつも行なっています。苦しい時は、もっと苦しかった時のことを想えば辛抱できる、とか、戦争を体験したお年寄りが、戦時中の苦しさを思えば今のこんな苦しさはなんでもない、と云ったりします。これも比較です。比較することが無ければ人間、向上はしないのでしょう。

比較といえば先日、新聞に『全国都道府県の10万人あたりの図書館数』という囲み記事がありました。05年度、文科省調べ、公共図書館・分館数によるもので、ランキング表付きの記事でした。

それによると第一位は「山梨県」で、県内の公共図書館は49館。10万人単位では5.54館。次が「富山」の5.40館、という具合に続き、全国最下位は「神奈川県」の0.94館。つまり10万人の県民に対し図書館が1館未満というものでした。神奈川には83館の公立図書館があります。しかし人口約888万人の神奈川にしてみれば、これはいかにも少ない数といえます。一位の山梨県の人口は約87万人ですが、図書館の蔵書数も「山梨」が、県民1人当たり4.0冊で全国5位であるのに、「神奈川」は1.7冊と最下位です。

神奈川在住の私は、昔から市街地などに書籍店が少ないことが気になっていましたが、図書館も少なかったのかと再認識しました。以前、都内在住の放送作家との会話で「コチラは本屋、図書館が少ないですナ」と言われた覚えがあります。本屋、図書館の少ない所は、私の独断を交えて言えば、地域の”知的文化度の低さ”の表れなのだろうと思います。

070923_074701 神奈川は小さな面積の県でありながら、海あり山あり大河あり、農村、漁村、山村、工業地帯もあるため、ある都市学者の言では、日本の縮図とも言われる県です。横浜、川崎などの都市部や、鎌倉、小田原などの古都もあり、縄文時代以来の歴史もあります。2000メートルクラスの山系から、長い海岸線まで半日の移動が可能です。午前中は箱根の山遊びをし、午後は湘南や三浦半島で海遊びができる、という自然環境は、他所にそうあるものではありません。しかし・・・本屋、図書館が少なかったのです。

昔から文人墨客も大勢移り住んでいる地域でありながら、現在は本を読まない県民が多くなり、前述のように全国最下位のていたらくというところです。

このように全国最下位、ということは他県との『比較』の問題なのですが、人の気持ちや気温の体感などの遷ろう比較ではなく、実数の比較は避けようのないものです。知的文化度の低い県に住む者としては、考え込んでしまいます。

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季節は秋。『実るほど頭を足るる稲穂かな』。これも比較の心得ですね。人間、比較に悩むことから卒業したら、仙人と呼ばれるモノになれるのでしょうか?。

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<きょうのおまけ>

0018 『旅香炉』銅製。

高6.5cm、胴径5cm。

上部の蓋を開け、香木を入れ、燻します。

昔、旅の途中などで、衣類の臭気取りなどに使用された簡易型香炉です。

この旅香炉にご興味のお有りの方はコメントなどお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070923_094801 「ホントに秋が来たら、教えてネ?」

ではまた。

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チョー難解、チョーさんワールド

画家が長い間描き続けた作品群を観ると、多少の変化はあるにせよ、その作品に現れるものは「作風」として認識されますが、作風は理解できるが、その「世界」を理解するのが難しい、という作家もいます。そんな作家の展覧会に行きました。

漫画家、絵本作家、児童文学者、エッセイストなど多彩な肩書き?をもち、2005年に77歳で亡くなった、長新太氏の物故展ともいえる『ありがとう!チョーさん 長新太ナノヨ』を、横浜のそごう美術館で観ました。(10月8日まで)

0055 長新太氏は、1927年、東京生まれ。都立蒲田工業高校卒。陸軍少年飛行兵になり損ね、18歳で終戦を迎えました。映画の看板描きの仕事を始めましたが、必要に迫られデッサンを学んだといいます。その後、毎日新聞の漫画コンクールに入選し、毎日新聞社に入社。6年間の新聞社勤務の後、本格的な作家活動を始めました。コマ漫画や、1958年から描き始めた絵本は、生涯で400冊以上という多作な作家でもありました。若い頃は、アンリ・マティスや、フェルナン・レジェの影響も受けたということです。

0056_2 評論家の彼への評化は、かなり難しいものです。記述困難、奇想天外、予測不可能、独特のユーモア、脈絡の無い展開、不条理等々の文字が並びます。「常識に囚われた大人には眉をひそめられたり、苦情の手紙すら届いた」ということもあったようですが、子供には絶大な人気で、大人のなかにも熱狂的なファンが多いのも事実です。

今回の展覧会にも”子どもごころとナンセンス”というサブコピーが付いていて、ナンセンスという評価も正確なのか、と思いました。現代アートで、よくナンセン0057_2 スなところを狙っている作品があります。そんな作品は往々にして、狙いが分かるものが多いのですが、それに比べ彼の世界はとことんナンセンス、条理の無いナンセンス、とでもいえるような、不思議な世界です。

0059_2 会場には、絵本、漫画、イラストなど約200点の原画や漫画の初版本、遺品などが展示され、その「ナンセンスの世界」で満ち溢れていました。また子ども用のワークショップのコーナーも設けられていました。                  

私が長新太作品を知ったのは、1970年代で、SF作家の星新一のショートショート作品での挿画です。素朴な線なのですが、発想や構図が未来的で、本文と挿画の異質感を楽しんだ記憶がありま0060_2 す。通常考えれば、挿画は本文の世界をもっと広げるためにあるものでしょうが、長新太挿画は独特の世界観で、本文からも解き放たれたもののようでした。

0061_2 しかし彼を評する場合、作品が子どもに絶大な人気があるといっても、よく評伝などで見るような「子どものような心を持った」というような単純な表現では言い難いような気がするのです。逆に言えば、大人にとって”油断のならない”もののような気がします。そして大人が大人的に批評するのは相当に困難で、ありきたりの表現では、その世界を失ってしまうのではないかとも思います。

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色とりどりの会場で、「そういえば、これまであまり気付かなかったが、長い間、さまざまな瞬間に彼の作品を観て来ていたのだ」という、素朴な感想を抱いたのは、「作風」は理解できるが、その「世界」を理解できない”子どもの感性を失って久しい者”の諦観でもありました。

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<きょうのおまけ>

0005 『水瓶』(古代中国・宋時代)

高15.5cm、口径5・5cm、胴径9・5cm。

新玉の・・・、秋の気配が感じられるようになってきました。1000年程前に造られたこの水瓶を徳利代わりにして、秋の夜長に御酒をいただくのは、なかなかの風情です。たっぷり一合は入ります。

この水瓶にご興味のお有りの方は、コメントをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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070909_072501_5 「秋って、まだなの?」

・・・・・・・ではまた。

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『指先のマリア』の涙

070523_175801_5 天正年間から明治初期まで続いた、日本のキリシタン弾圧の歴史は、随分長い期間でもあり、現代、信教の自由を保障されている我々が考えると、その弾圧は酷いものだという想いがあります。

天文18年(1549年)に日本に伝えられたキリスト教は、織田信長のもとで興隆期を迎えますが、天正11年(1582年)、豊臣秀吉の伴天連追放令が施行され、キリシタン受難の時代が始まります。寛永14年(1637年)の島原の乱を機に、江戸幕府は信者への迫害を強化し、隠れキリシタンが摘発されました。そんな中、イタリア人宣教師、シドッチが屋久島に侍の姿に変装して潜入しますが捕縛され、江戸で新井白石の取調べを受けました。

そして、その時このイタリア人宣教師ジョバンニ・バッティスタ・シドッチが携えていたのが、今回、東京国立博物館・特集陳列『キリシタンー信仰とその証』に展示されている、聖母像『指先のマリア』です。

0052_3 シドッチは儒学者、新井白石から尋問を受けます。白石はシドッチの人格、学識に感銘を受け、当時、伴天連は見つけ次第拷問し、信仰を捨てさせる(転ばせる)ことを最良としていた従来の考えを破り、本国送還をと説いたのですが、切支丹屋敷に留められていたシドッチの世話役であった、長助、はる、という老夫婦が、シドッチに感化され、もともとキリスト教から改宗していたこともあり、信仰に立ち返ると主張したため、幕府は無視できず、老夫婦を死罪、シドッチを地下牢に移しました。シドッチは、1714年、地下牢内で亡くなりました。46歳でした。

さて、今回展示されている聖母像『指先のマリア』ですが、ブルーの衣のひだの間から、親指だけをのぞかせる形で描かれています。そのためにこのような名前がつきました。0053_2

部分的に絵の具が剥落しているところもありますが、色彩は鮮やかでガラスケースの中で、涙を流しながら、0054_4 ひっそりと祈っているようでした。

この聖母像は、板に金地などを貼り、テンペラ技法で描かれたもので、イコンと呼んでも良いようです。

この『指先のマリア』を描いたのは、17世紀半ばのフィレンツェで活躍した宗教画家、カルロ・ドルチです。小形の肖像画や宗教画、ことに甘美な聖母像などを得意とした画家でした。この『指先のマリア』のほかに、同じような構図で『悲しみの聖母』などの作品を沢山描いており、現在、ルーブル、エルミタージュ、ボルゲーゼ、日本の国立西洋などの美術館に所蔵されています。

今回の展示『キリシタン―信仰とその証』には、宗教画のほか、長崎奉行所の没収品である、ロザリオ、十字架。また信仰を捨てさせようとして使った、踏み絵。観音様に見立て、信者は聖母として祈った、マリア観音像などおよそ70点の遺品、遺物が展示され、受難の歴史を伝えています。(9月30日まで)

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いま顧りみると、歴史に残る大きな戦争のほとんどは、宗教、思想の違った民族を多民族が制圧する戦争ではなかったかと思うのです。ことに中世の戦いは、宗教の布教と簒奪そのものでした。暴力による布教とは、布教される人達の思想、文化を破壊し変更させることでもあります。

このような戦いで制圧され、それまでの心の拠りどころを失い、価値観の変更を余儀なくされた人達の心は、その後どのように彷徨ったのでしょう。

受難の人達の遺品を観て、信じるものに命を捧げた殉教者、また拷問等で信仰を捨てなければならなかった人達の無念の想いが、遺品に澱のようにまとわりついている感じがしました。そして、中世の宗教画家、カルロ・ドルチは『指先のマリア』に何故、涙を流させたのか、を今も考え続けています。

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<きょうのおまけ>

Scan10019_4 『燭台』(日本・平戸)

高13.7cm、口径6.2cm、底径8.4cm。

秋草模様に蝶、蜻蛉などが飛んでいます。

燭台というより、蝋燭立て、といったほうが正確な表現のような、儚い感じがする品です。

この燭台にご興味がお有りの方は、コメント、メールをお寄せ下さい。詳しいご説明を致します。

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「秋は来た、ってホント?」

ではまた。

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法隆寺の時の流れ

最近、博物館などの半公共施設では、行政からの補助金が先細りになってきていることから、入館者の増大を図るために、新しく展示の方法や、展示の方向性を考えだした、というTVニュースを見ました。

しかしこの趣旨の根本が、どうもおかしい、と思うのです。本来、博物館などの半公共施設は、収蔵品などを広く一般入館者に公開することを目的とし、第一義的には入館者の入館料が、館の収入と考えるべきもので、そのためには展示などの企画は入館者の興味に沿ったものを考える、ものだと