中華庭園とニート
品川から三浦半島に向けて走る京浜急行電鉄の、京急川崎駅からの支線、大師線には、初詣などで賑わう川崎大師があります。今回、その裏手に、広々とした中国の庭園がある、と聞いて行ってみました。
川崎大師に行くには、大師線の川崎大師駅で下車するのですが、この庭園に行くには、もうひとつ先の駅、東門前駅で下車します。駅員さんに聞くと「6分ほど」と道順も丁寧に教えてくれました。住宅街の中を散歩し、着いてみると庭園は大師公園の一角にありました。
外観からもその大きさが分かる(面積は約4300平方メートル)純中華風のこの庭園は『瀋秀園(しんしゅうえん)』という名称です。(月曜休・入園無料)普段、横浜中華街で中華建築には馴染んでいるつもりの私でも、美しさに見とれてしまいました。
入り口門の脇にある説明掲示板を読むと、川崎市と中国・瀋陽市の姉妹都市提携5周年を記念して、1987年、瀋陽市から寄贈された庭園で、建設には瀋陽市から庭園指導技術団が訪れ、工事指導をしたということです。建物は全て賑やかな色彩で、これぞ中華!、という感じです。
庭園内に入ると、大きな池を囲むように三棟の四阿(あずまや)が回廊で結ばれています。小高い築山の上には別の四阿があり、脇には滝が流れ落ちてている、という設えで、水鳥の遊ぶ池に映る、建物の色彩の派手やかさは時代を遡った中国、といった想いがしました。
説明によると、この建物は、古典庭園建築様式ということで、特に明・清時代の位の高い人達の寺、住まいなどに用いられた「瑠璃瓦」が使われているそうです。四阿の柱、天井などの木組みの彩色、絵柄などはことに美しく、中国・明、ことに清時代の焼き物などにもみられる、隙間のない図柄の組み立てや、白地を生かした清々しい絵模様などは、中国王朝文化歴史の最後の光芒を放った清時代の隆盛のほどが偲ばれました。
ところで私が今回、この庭園の存在を知ったのは、知人が編集長をしている『京浜沿線ニュース』という情報紙でした。この新聞は、月2回の発行で、京浜急行線の駅売店で頒布されているもので、825号を数える京浜急行沿線の地域情報紙です。この824号紙に、この『瀋陽園』の紹介記事が掲載されており、これは神奈川、横浜に長く住み、神奈川県内情報を取材し続けてきた私にとっても初耳の情報でした。
この『京浜沿線ニュース』紙は全4ページというものですが、前述のような沿線の名所、旧跡の案内はもとより、沿線地区に関する経済、行政、催し物案内などが詳細に掲載されているほか、コラム、また時には特集なども組まれ、大手新聞、業界紙にはない手近な地域情報新聞としてなかなかに面白い新聞です。毎朝届く新聞に折り込みではさまれているような100%宣伝のための情報紙?ではなく、淡々とした筆致で情報を伝えながら、記者の肌合いが伝わるような暖かい感じがする情報紙です。
マスコミ・・・に私も三十数年間勤務しておりましたが、地域情報を地域の肌合いを消さずに、的確に読者、視聴者に伝えることは、取材記者の能力に関わることで、ともすれば自分の記事、原稿に熱中するあまり、おおげさな表現や、思い入れなどを書き込んでしまうことがあります。これは取材者としては決してしてはならないことで、そのためには、取材対象をどれだけ正確に把握するか、という訓練が必要となる仕事です。しかしいくら訓練しても我田引水の原稿を書いてくる記者もいます。これは本人の資質に関わることで、結論的には、その者は記者には向かない、という判断をされることになります。
今回の『瀋陽園』訪問には、この『京急沿線ニュース』紙を持参したのですが、庭園を散策しながら、いま若い人達が「自分に向いている仕事を探すために」、ニートの生活を送っている人が多い、という話を思い出しました。しかし、自分に向いている仕事が、若い、未経験な人達に分かるものでしょうか。私は、実際に仕事についてみて初めて「向き」「向かない」が分かるのだと思うのです。仮に不向きと思っても、その仕事を続けていくうちに、思いがけず自分の意外な能力を発見したりすることもあり、実際の仕事をしないうちに、向き、不向きが分かったなら誰も苦労はしません。例えば自分の職業は記者しか考えられない、と意気込んで、入社率何十倍の新聞社、出版社などに入社しても、前述のように資質の問題などで、仕事の方向を変えなくてはならない現実もあります。
そんなことを考えさせる情報紙片手の庭園散歩でした。
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〔きょうのおまけ〕
油壺(江戸時代)
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yoshida art
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